#79 自らを滅ぼす分離からの解放とは、永遠性である。 自我が守っているものを手放す時、万物が起動する…(オープンセッションのみ)

#79 自らを滅ぼす分離からの解放とは、永遠性である。 自我が守っているものを手放す時、万物が起動する…(オープンセッションのみ)

はい、今日もMARTHのたわごとの、いや、トークセッションの時間がやってまいりました。

今日、ご質問があったので、トークセッションを行います!

Q:MARTHさん。分離、また隔たり、自我、様々な問題を学ばせて頂きました。
そこから解放される。またそこから出るには、どのようにしたら効果的なのでしょうか。お教えください。

という、ちょっと具体的な方法についてのご質問があったので、お答えしようかなと思って、このセッションを行います!

まずですね、なにか自我にとって嫌なこととか、ブレイクダウン、トラブル、問題、自我にとって、嫌なことが起こったときですね。

特に怖いことです。自我にとって嫌なことというのは怖いことだから、嫌なことに感じるのです。
自我にとって怖いことが起こったときには、どうなっているかということをちょっと見つめてみると、崩れ去ってしまいそうなものがあります。

例えば、地位とか名誉とか、家とか家族とか、恋人とか、いろんなものが崩れてしまう。それで、どうなるかと言うとカッとする。

自我はもう、くそーとか、カーッとか、なるわけです。
これが分離ですね。
だから、カッとなったり、怖いからうわぁーと。
なんの怖さかというと、失う恐怖です。
何かプライドを失うとか、地位とか名誉とか、ビルとか、家とか、家族とか、いろんなものを失うことが起きた時、うわぁーって自我が反応します。

で、そのときに、恐怖。崩れる恐怖です。
で、そのときに気づいて、崩れるがまま、ダメになるまま、放っておけるとしたら、それは誰かという問題があるのです。
それを放っておけるのは無我だけなのです。万物だけですね。

そうすると、それを放っておく。
だから、許すということです。
それができるのは万物。要は自我ではないのです。
ですから、無理やり、崩れるに任せたり、ダメになるのに任せるということは、無我になったということに等しいのです。

一体になったということなんです。その人が。
そうすると、実は、ダメになっちゃうじゃないか!って自我は思うんですね。
要はダメになることがOKになっちゃって、崩れるのに任せたら、ダメになるんじゃないかと思うのですが、ところが逆なんです。

要は自我で処理しようとしたのが、この万物、要は創造主体に任せた形になるわけです。
要は、自我が放棄する。自我が安全とか、怖いと思ったことを放棄すると、全体が動くのです。
要は、全体に任したぞ!というリレーのときにバトンを渡すみたいなものです。
もう、万物に任せました。これが、無我ということです。要は自我の終焉、分離の終焉です。

そうしますと、宇宙が動きます。
素粒子が動きます。自我になっていると素粒子というのは電子が綺麗に回らなくなって、部分になってすごくダメージを受けるのですね。

イヤシロではなくて、ケガレ化するんです。
ところが、私などいないとか、壊れるに任せるとか、だから許す、ですよね。

そうしますと、すごく解放されて、宇宙が動くのです。
電子が動きます。
素粒子全部が、宇宙全体とつながります。いつもは宇宙全体と自我になっていると切れているのです。
だから、どんどんエネルギーを失うわけなんです。
根っこから引っこ抜かれた、木や草花になってしまうような感じです。

ところが、崩れるに任せる。だめになるに任せる。
許すということは、自我が放棄するのですね。安全を。

そうしますと、無我が出てくる。万物が出てくる。森羅万象、創造主体が出てくるんですね。
神々が出てくると言ってもいいでしょうか。
そうしますと、ものすごい力で別の動きが起きます。
自我には想像を絶するものです。
それを知っている人は、それが一番得であることを知っているので、非常に許す人になったり、非常に崩れるのに任せているのが、外からわかりませんが、その人は特別な感じがします。

万物にいつも任せる。真の自己に任せる。真我に任せる。一体に任せる。宇宙すべてに任せる。
これが、分離の終焉です。

ですから、分離の終焉、自我の終焉というのは、そんなことではなくて、ものすごい得なんです。

万民を得たというか、万物を得た。
だから、万物、万民。要は正義と愛が何より重要。
愛とは一体のことです。
そしてそこから来る正義。純粋さ。
それが何よりです。
それが解放であり、幸せであり、そしてそこから生きるときは、万物全体に自分がなってくるのです。

宇宙全体。無我全体になってゆきます。
そうするとそれは、素粒子のレベルになっていって、終わってしまう分子から解放されます。
それが、永遠の命ということになってゆきます。
とわに続く命です。

逆に言うと、自我で生きるということは、永遠性を放棄するということになるのです。
自我で生きるということ、分離で生きるということは愛を失う、永遠を失う。素晴らしさを失う。真の成功や、真の繁栄を失うということになるのです。

ですけど、そのことを言ってもですね、自我の分離が聞いた場合、何を言ってるんだ!という話になるわけです。
だから、伝えるのがものすごく難しいのですね。
で、このことを今聞いていただけたら、本当にありがたいです。
また、ただのたわごとです。
それでは、またお会いしましょう。

MARTH

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