人がこの科学的に一体の世界に生まれ、分離を習い、そして一体へ回帰するのはなぜなのか

人がこの科学的に一体の世界に生まれ、分離を習い、そして一体へ回帰するのはなぜなのか

はい、今日もご質問をいただいております…。
Q:MARTHさん。僕は、アセンションや悟り。覚醒に大変興味を持っています…。どのようにしたら、そのことに達することができるのか。お伝えください。

というご質問です。まだ20代の方です。

その頃の年代の頃は、そのことに興味がとてもあるのは普通です。当然のことです。それは、それが人の目的だからだと、私は想います。

そして、自我、分離、苦しみ、悲しみ。あらゆるトラブル。それは、環境によって生まれた、自我によるもの、分離によるものだと、私は捉えています。

この世界を生み出している創造の主体は、そもそもが無我、一体。今あなたがおっしゃられた覚醒やアセンション、高い意識の方たちのためにこの世界が創られていると、私は感じます。

長年、その現場にいて研究の中にいた人生の中で、それを今つくづく感じています…。

要は、本来この一体の世界の中で、一者の、創造の主体の夢であるこの世界の中で、私たちは生まれてきます…。
そして、赤ちゃんたちはみんな、一体の中から、愛の中から、ひとつであるところから生まれてきます…。

要は始めから覚醒し、始めから悟りを開き、始めから愛で、本質で、無我で…ひとつなるものとして生まれてくるのですが、環境が分離です。

分離を信じた人類。これには様々な要因があるわけですが、例えば名称づけの問題。五感の問題。また分子がすべてのように見えるこの世界で、自と他の分裂があるのは、やむなきことでもあると想うのです。

しかしそれが、科学的事実ではないため、万物の方が一体で、愛で、無我で、ノーマインドでできている。その人たちのため用の世界であるというように、私は感じています。

ですから、私たちの方が、それに合わせなくてはなりません。
ですから、この方がおっしゃられているように、覚醒やアセンションは必ず必要なものです。私たちのこの文化、文明、社会が今分離している以上は、私たちは、そこから目覚めなければなりません。

何に目覚めるのでしょう。何に覚醒する。何を悟らなければならないのか。それは、一体であることです。すべてがひとつで、一者の夢である。一元である。この世界はひとつである。親指も小指も全部、一体の手であるように、手も身体の一部、一体であるように。

すべてが万物と一体で、この素粒子の海と一体で、すべてがひとつのものであるということ。このことに目覚める。覚醒する。このことに悟りを開く。そのような意味だと、私は感じます。

そしてこの世界は悟りのために、一体であるということのために、一体の人々のために、無我の人々のために、ノーマインドの人たちのために、またはノーマインド、無我の、自我の終焉した生命や鉱物たちのために存在している美しき世界だと想うのです。

しかし、人類が道を誤って、分離の世界を信じてしまったために、無我や一体を持って生まれてくる赤ちゃんたちが、分離の中で自我が形成し、苦しみや恐れ、悲しみやあらゆるもの。死への恐れまで、持ってゆくのだと感じます。

本来、私たちは素粒子でできています。ですから永遠です。朽ちてゆくのは、分子に過ぎません。腐食酸化するのは、分子なのです。

そして、分子を構成するのは原子です。ですから、私たちの本当の姿。それは私たちが原子と呼び、または素粒子と呼ぶような未知なるもの。

それは、創造の主体の夢のような素材でできているものと私は感じます。

そしてそれは一体の世界です。すべてがつながって、ひとつなる世界。それに合わせて創られている。それに合わせて、この世界がある。しかし人類の方が、分離、比較、競争、ケンカ、争い、戦い、悔しさ、恨み、憎しみという分離、分裂、対立によって、それを信じ込んでしまった私たち人類が、この世界で合わない。

それゆえに、元に戻そう、目覚めさせよう、本質に回帰させようと、天がする、万物がする、創造の主体がする、それがバチであり、それで、自分を裁くというのはそのようなことではないでしょうか。

自分を戒めるとか、自分を目覚めさせるために、自分に気づかせるために、一体であること、愛であること、神の一部であること、神の子であること。それを気づかせるために、様々なトラブルが、問題が自らにやってくるのだと想います…。

真の幸せや、至福や成功は、それを超えたときにあるものだと想うのです。私たちが無我に還り、一体に還り、それに目覚め、気づき、ひとつなる万物の、この環境とピッタリ合う、そのような価値観で生きるときに、あらゆるトラブルがやんでゆくのだと、今私は感じてなりません…。

そのことに気づくことが、その環境の問題に気づくことこそが、自我の終焉にとって大事だと感じます。

ご質問に、答えになっているかどうかわかりませんが、自我が良くなりたい、悟りたい、すごくなりたいとしてしまうと、それは自我を強めてしまいます。

それよりも、この世界がどうであったのか。一体であった、愛であった、この世界がそれによってできていて、そのことこそが私たち人類の本質であり、本当の姿である、そのことに気づいてゆくことが

そして、あらゆるものと一体で、親指と小指が戦うことなく、同じ一体物として、支え合って、それぞれの特徴を愛し合って、尊敬しあって、隣国や隣人、あらゆる他と見える同胞と力を合わせて生きてゆく。

素晴らしい世界を創ってゆくということこそが、何より大切な気づきであり、覚醒であると、アセンションであると、私は言います。

それではまたお会いしましょう…。

MARTH

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