一体なる万物の支援を受けず、分離を信じ生き、人類は幸せになるのか
一体なる万物の支援を受けず、分離を信じ生き、人類は幸せになるのか
はい、今夜もオープンなトークセッションの時間が来ました…
まずご質問の方、メッセージの方からお読みしたいと思います。
Q:MARTHさん。MARTHさんは分離の問題点を非常に強くおっしゃられます。素粒子、または神に合わない。また、一体性にとってかけ離れた価値観であるというように、私は感じ始めています。
一体性を保つ、または一体性を持って生きるということは素晴らしいことだというのは、なんとなく最近分かるようになってきました。
ぜひともその辺の、一体性の良さ、得について、お話しを聞きたいです。よろしくお願いいたします。
というメッセージを頂きました。
まぁわかりやすく、一番わかりやすいなと自分が思っているのは、身体に例えるとわかりやすいですね。
要は心臓と肺とか、腎臓と肝臓が戦う。またそこの細胞の人たちがグループをつくる。他と戦う、といっても実は一体なものですね。
それが世界中で起こっている。逆に言いますと、一体な世界であると思っていない。または、例えばです。肝臓の細胞さんと、腎臓の細胞さんがケンカしている。
それは、本人にとっては、自分の中で戦いが起こっているわけですから、嬉しくないですよね。
それだけではなくて、白血球やT型。様々なケンカを収めるためのもの。炎症を収めるためのものが出てきますよね。
で、細胞さんにしてみると、戦っていたら、今バチが当たる。やっつけられる。ひどい目に遭う。そういうようなことになるわけです。宇宙はそうできている。というようなことをお伝えしているだけなんですね。
要は、AとBの戦いというように、人類は今まで信じてきました。
AとBとの戦いは、一体の神というか創造の主体にとっては嫌なことですね。全部自分ですから、全部自分なので、創造の、また神にとっては自分の中での争いは嫌ですよね。どっちも自分ですから。
だから、いいとか悪いとか、善とか悪ということよりも、神のフィールドの中で、神のプラットフォーム、いや、神の世界の中で、その破片同士が戦っている。その部分同士が、というのは、やはり、良くないことですね。
ですから、この事をよく目覚めたい。学びたいという方々がいらしたら、いつもその第三者の方を考える。神の方を考える。
または天、万物、創造の主体。または素粒子、電子。
全体、つながっている大きい方の存在をいつも意識することで、AとBとの戦いというのは、非常に部分的なものなんですね。
ですから、これをやらないとAにやられちゃう!この武器を持たないとBにやられちゃう!というふうに左脳的に考えますが、なぜ天からやられることを考えないのか。なぜ万物から、神から叱られることを考えないのか。とんでもない目に遭うかもしれない。とんでもないメッセージが来るかもしれない。
ましてや、自分自身が素粒子でできていて、自分の分子は素粒子でできていて、神の現れ、愛の現れで素粒子でできている。電子でできているということは、自らからも嫌われ、罰せられ、いろんなことになりますね。
だから誰かが見ている、見ていない、神が見てる、見ていないではなくて、自分自身が神の現れ、愛の現れ、素粒子の現れですから。
ですから、得をしないですね。
いつも万物にとって、天にとって、神にとって。
ですから古代のユダヤの民は、イザヤさんたちもそうですけど、ずっと和することを、天から見て、神から見て、愛される。
要は神の支援が得れないで、なぜ成功できるのでしょうか。なぜ繁栄するのでしょうか、ということを見て、自分の身体や健康や、人生の素晴らしさ、家族や家庭や、仲間たち。
国や、企業や、あらゆるものが天の支援を、素粒子の支援を受けないで、愛の支援を受けないで
その世界にいながら、その支援を計算に入れないというのは非常に非科学的だと、私は感じます。
AとBの戦いでは済まないんですね。
AもBも一体物です。
大事なことは、他を愛し、他と見えるものを尊び、互いに愛しみ合い。
もし、何かの団体を持つなら、他の団体こそ、愛する。他の会社こそ尊ぶ。他の人のことこそ、大切にする。
そういうような想いを持った人だけが真に成功し、真に輝き、真に自らを愛せ…なぜなら万物が、神が、天が、素粒子が、電子が、その人を愛し、味方をしているからですね。
そのように捉えることは素晴らしいことだと、私は感じています。
だからといって、MARTHのいうことを鵜呑みにする必要はありませんし、信じる必要もありません。
ただの、たわごとです。
それではまた、お会いしましょう。
MARTHでした。
おやすみなさい。
MARTH
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