#67 一体のものに名称をつけて分離させ、楽園を出てしまった人類の悲しみと、プラズマの世界との関係性をMARTHに問う

#67 一体のものに名称をつけて分離させ、楽園を出てしまった人類の悲しみと、プラズマの世界との関係性をMARTHに問う

はい、今夜もトークセッション、MARTHのたわごとをお伝えする時間となりました。

まず、早速、メッセージ、ご質問のクエスチョンの方から、お読みします。

Q:MARTHさん。最近、プラズマのことや、素粒子のことをお話されています。
大変興味深いです。そして、楽園から出るということについても、お話されています。

その両者の関係に、何か深きヒントがあるように感じてなりませんが、そのことをお伝え願えないでしょうか。
よろしくお願いいたします。

ということなんですが、そうですね。
まぁ、その楽園から出てしまうというのはですね。
やはり現実感だと思うんですね。
要は、霊的世界だった。また創造主の主体の世界だった。
だから、創造主の想念でできている世界だった。
で、ここまでは良かったんですね。霊的な世界。一者。一元。源。

愛の世界。平和な世界。愛の現れ。

ところが、言葉。要は名称づけによって、あと意味づけによって、要は意味ないところだった。要は意味ない、マントラですね。

マントラというのは意味がない言葉という意味ですから、意味がなかった世界から意味が起こった。分離してしまった。
また、名称をつけるというのは、花にもいろいろと名称つけると一体のものでないという感じがしますよね。

だから物に名前をつけるということは一体でないということにもなりかねません。

そこから物質化されてゆく。すると、物質化というのは分子ですから、分子は、エントロピー増大になってしまう。

ということは、腐食酸化もしていってしまうんですね。

そうすると、永遠ではなくなるんですね。
で、永遠でない。これがあの、安心感がなくなる。
要は霊的世界は永遠です。要は電気の世界。プラズマの世界。電子の世界。原子の世界。霊的世界。
まぁ霊的という言葉はあまり使いたくないんですけど、他にないんですよね。
エーテルって言っても変ですしね。

まぁだから、神のというか創造主の想念でできている。
僕らも想念で夢を見ますよね。夢は自分が創っているといえば、創造の主体は自分ですね。夢の創造の主体は自分です。

という意味で、神の夢は、創造の主体の夢です。

ですから一体です。ひとりが見ています。一者です。
その中に、私たち人類がいるというふうに、古代の人は捉えていました。

ですから、色即是空もそうですね。すべて想念であって、現実でない。
この世界は霊的世界。想念の世界であるというのが真実であるという基本ですね。古代の人がずっと言ってきたことですね。

宗教性の基本もそこにあります。

まぁそんなところから、想念の世界だったのに、それがまぁ物質化、分子化したことで現実感が生まれ、恐怖が生まれる。
終わりを見るということですね。永遠から出てしまう。
愛から出る。一体から出るということは、安心から出るということなんですね。
一体から出る。ということは分離。恐怖の中に入る。

楽園を出るということは、恐怖の中に入ってゆくということなんですね。
楽園を出て、分離の世界に入る。物質化の世界に入る=恐怖の世界に入る。

そうしますと、命の終わりを見てしまう。
分子は終わりますからね。
しかし、本当は電子的な世界なので、真実は霊的世界なので終わらないのですが、古代の人はそのことを一生懸命伝えました。

しかし、今は、非常に分離感。非常に分子感の感覚が強い。素粒子の、電子の、また創造の想念の世界の価値観が薄い。
一体である。愛である。一体と愛の世界。この真実の世界から出てしまうということは、楽園から出る。愛から出る。安らぎから出る。癒しから出る。

要は電子はケガレの行動に入ります。

一体の世界が分離した価値観のそこに持ち込むと、森が怯え、動物たちが怯えます。
子どもたちも。ですから、子どもたちはそれを継いでゆきます。

分離というのは非常にそのように厄介に働きます。
そして自らを罰し、自らを滅ぼし、自らに気づかせようとし、この分子の世界はそのように働いている。動いているというふうに、古代の人は伝えています。

まぁそんなことで、今日のご質問に、お答えになったかどうかわかりませんが、たわごと、お伝えいたしました。

それではまた、お会いしましょう。
おやすみなさい。
お相手は、MARTHでした。

MARTH

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