科学的一体性に基づいた宇宙のシステムとは

科学的一体性に基づいた宇宙のシステムとは

今日は、変わったというか…メッセージを頂いたのですが、いつもの質問とは少し違った形のご質問をいただきました。

 

Q:MARTHさんは分離のことについていつもお話されています。よくよく聞いてみると、結局天は、または神でしょうか…。人が無我になるまで許さない。そのような結論になるのではないか。と感じてなりません…。

MARTHさんの沢山のメッセージを聞いているなかで、結局とどのつまり、そうなのではないかと感じてしまっています。

私は長く高校の教師をしてきました…。質問になっているかどうか、わかりませんが、ぜひ、ご返答いただければありがたいです。

という、FAXというんですか、メールをいただきました。

おっしゃるとおりですね。結局宇宙のシステム、科学的システムが、無我によって構築されているのです。

 

ですから、古代からいろんなこと、この世界は何なんだ、ひどい世界だ!性悪説だ!とかいろんな話がありますが、実際はそうではなくて、宇宙は無我に合うようにできているのです。それは先生がおっしゃるとおりです。

 

要は、人間の身体もすべてが素粒子の海、一体でできているわけです。神の想念でできている、創造主の想念でできているといってもよいでしょう。

 

この素粒子と呼んでいる、未知なる…これ粒子じゃないですよね。

測り知れぬ、得体のしれないもの、そのとてつもないものは、すべてつながっているんです。一体なんですね。

 

それは科学的にそうであるために…そしてそれが生命を生んで、あらゆる分子を生んでいるわけです。

目に見えるあらゆる形、あらゆるものは、その一体なものでできています。

ですからどんなに分離して見えても、すべては一体なわけです。

 

だけど、人間が便利に動くために五感があったり、言葉を持ってしまったために、名称づけをして、他の動物さんたちよりも、生命の方たちよりも、分離した感覚が強いと…。

 

しかし、この宇宙の構成要因としては、一体性。ですから、自我という分離の私というのは存在しないという環境の中で…要は、システムの中で構築されているんですね。

 

ですから、人間が幸せになったり、至福になったり、うまくいったり、トラブルがなくなったり、いろんな素晴らしい世界になるには、みなが無我になって生きるしかないんですね。

 

だけど人間は、今自我の世界ですから、自我の高揚、拡大、競争、ケンカ、戦い、争いでできていますから。今の社会がですね。

それが宇宙の法則に合わないんです。

ですから、必ず争いや苦しみ。ましてや至福もなくなってしまうんですね。一体性の中で生きると、瞑想しても真我にすごく還りやすいんですね。

それこそ道を歩いているだけでも、森の中、エネルギーの高いところに行っただけでも、真我に還ってしまう人が出るほどです。

 

真我に還るということは、創造の主体に戻る、一体に還るということです。そのとき、至福になり、真に自らを罰さなくなり、運が開けるというのでしょうか。

真の繁栄や、真の成功が、持続可能な素晴らしい繁栄が起きるんですね。

 

ですから、逆に言いますと、この宇宙は無我…まぁ人間の言葉で言うと無我。私はそういう言葉は使っていません。一体性、要はひとつである形。すべてがひとつのものであるということ。

そのようにできている。ですから、そこに自我が生まれてしまいますと、分離が生まれてしまいますと、幸せがまずなくなり、至福がなくなり、自分のことが好きじゃなくなり

 

そして、非常に荒れてくるんですね。で、他と戦ったり、分離のために騙したり、やっつけたり、自分のことばかり考えるようになったり、あらゆることになって、至福もなくなり、運も自ら罰しますから悪くなり、自らを叩くようになるんですね。

 

ですから、どんどん損をする。勝つつもりで、得するつもりでやっても、苦しい人生、つらい人生、悲しい人生、寂しい人生になってしまうという…。

なぜなら、神は、または天は、万物は、一体のために、要は無我のために、無我の人々のために、この世界を創っているんですね。

無我の人たちにとってはすごい至福で、すごい真の繁栄と成功をするようにできているんです。

 

ですから、そこに人類が気づくまでは、人類は苦しみから逃れられないし、自らを罰することをやめないだろうなぁと、私は感じています。

 

ですから、人類は、科学者の方々は、そのことを検証し、調べ、本当にそうだったら人類にとって大変な問題ですね。ですから、どの人も勝てないし、素晴らしくなれないし、幸せになれないとなったら、大変な問題ですよね。

 

で、この世界が無我のために、一体のためにできているからこそ、真に目の開いた方たちは、無我、自我の終焉、ノーマインド、私などいない、ということを推奨してきたのじゃないかと、私は長年現場でトレーナーをしてきて、つくづく、若き日、感じたんですね。

 

それを、今お伝えしています。検証するべきじゃないか。みんなが幸せになるために、みんなが豊かになり、みんなが繁栄し、自分を好きになり、みんなが幸せになって素晴らしい世界を創れるんじゃないか。そうできてるんじゃないかって、今想います。

それではまた、お会いしましょう。

MARTH

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