#95 幸せとは、愛しき一体の想いの中にあるのです…勝った人も負けた人も、分離を信じる限り、幸せはない…(オープンセッション)

#95 幸せとは、愛しき一体の想いの中にあるのです…勝った人も負けた人も、分離を信じる限り、幸せはない…(オープンセッション)

はい、今夜もMARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。

今日も早速、メッセージ、お便りの方から、お読みします!

Q:MARTHさんは、この世界の勝ち負けについての価値観がみなと違っているようにいつも感じます。
なぜでしょうか。

というご質問です。

そうですね。親の教育というのもあるかもしれません…。
もっと言えば、幸せな人生でありたいから…ですね。

それが科学的に愛し愛されることこそ、幸せだと確信を持っているからですね。

若き日に、自分を観るセミナーというもののトレーナーをやっていたのです。それで、そこに「赤黒ゲーム」という実習がありまして、まぁ、勝ち負けゲームですね。

それを何万回…何万回とはいかないですが、何千回…かなりの数の経験をしました。
もう、なんとやっても、両方勝った人も、負けた人も、光も闇も不幸になるのです。必ず不幸になります。勝ち負けは。

勝とうが、負けようが。人類は、勝ったら幸せになるとか、良くなったら幸せになると思ってしまっています。
一体の世界です。愛の世界。

だから、傷つけられても思いやったり、愛し愛されたいと願ったり、思いやったり、いたわったりしたほうが、一体の世界ではやはり自分がそれでできているから、素粒子が愛でできているから、その方が気持ちが良いし、それの方が、医学的に言えば、愛の…脳内物質と言うのでしょうか、そんな言葉では言いたくありませんが、でも、そのようなものが出ると思います。

だから、幸せ感とか、愛しさとか…
じゃないと、外から自己高揚、自己拡大、「カーッ!」となるものを摂らなきゃならないとか、ごまかすとか、そのようなことにつながると思うのです。

やはり、大事なこと、大切なのは、愛し愛される、思いやるとき、許すとき、察して、愛しきまなざしであえて見るときに、そのような安らぎの、そのような脳内物質も出るし、そのように神経がなるし、電子もきれいに回るし、あらゆることが、そうなるように、神の子だから、愛でできているからって信じています。
そう確信を持っています。

だから、幸せになりたいからです。幸せな人生でありたいから、それが科学的に素晴らしいから、だから、そう思っているのです。

勝ちながら愛することはできないという詩を昔創りました。
勝ちながら幸せにはならない。勝つということは、万物から独立するということなのです。

素粒子から出るということなのですが、やはり素粒子でできていて、愛でできているのです。誰もが。

それは苦しさと、つらさと、自らへのメッセージ、バチ、また、償い。また、破滅。そっちへ向かってしまうのです。

幸せになれない。誰もが幸せになるために、この世界へ出てくると思うのです。だから、幸せになるためには、愛し愛されることを追求しないと、それは多分何千回も、その赤黒ゲームかな、その実習で実験しました。その専門家でしたから…。

もう、確実に不幸になります。どちらも。また、うちの父親が東京地検の公判室、公判の仕事でしたから、裁判だけはやるなと、ケンカだけはやめろと言う父でしたし、人に勝つな、偉くなるな、すごくなるな。そういうことを目指すな、と。

良くなろうとするなと。人を支えろ。人を助けろ。そういう想いで生きろと。だから、うぬぼれたり、過信したり、勝ったり、良くなったりするとひっぱたかれますから…僕の家はね。

すごくなるな。そういうものを目指すな、と。

昔、友達が、俺の一族は武士で偉かったんだぞ~と、小学校の頃に言っていて、僕の家は何なんだろうと、父親に、うちは何だったの?と聞いたら「百姓に決まってるだろう!」と言ってバーンとひっぱたかれたことがありました。
実際は寺だったのですが、親父はたぶんムカついたのです。

それはやはり、そのような囚人の方たちの回帰の研究をしているなかで、自己拡大とかそのようなことをすると宇宙から離れてしまうということをやはりすごく気にしていたと思います。

勝ち負けがなくなるだけで、囚人の方たちもみな幸せになったり、本当に改心されることをいつも言っていましたので…。

やはり、そのような不良少年になってしまった男の子たちも、勝たなくていいということや、競争や分離ではなく、愛の世界だと知ったら治ったというのを沢山見ましたし、また、トレーニングというかそのようなセミナーをリードしていましたから、沢山の何十万人という人が変わってゆくのを見ました。
彼らが幸せになってゆくのです。

それは、愛し愛されることで、愛しさによって。勝ったからではないです。

人を思いやったとか、いたわったというときに、その人の愛が出て、その脳内物質が出て、副交感神経が出て、そのような言い方は良くないですが、機能的に言えば、それで電子がきれいに回るのだろうな、それが、たとえば野菜さんとか、植物さんは、大地から引っこ抜かれたら、すごく苦しいし、つらいし、生きてゆけないですね。

人間は、同じように、愛から、万物から引っこ抜かれて、自我化して分離したら、それは当然苦しいです。

でも、人間は戻ることができる。

ではどうやったら戻るんだ、というふうに聞かれたら、愛し愛されることですね。
許すことであったり、思いやったり、察したり、善なるところを見てあげたり、苦しみを見てあげたり、つらさを見てあげたり…。

そのようなときに、自分のエネルギーが変わり、愛しいな、とか、つらかったなとか、苦しかったのだな、という人の想いを感じれば、そんなことだったのです。

それが、若き日はそのようなことをやっていましたので…。毎日ね。それしかないな。幸せになりたかったら、僕自身が愛で生きるしかない。

誰もが愛で生きるしか本当はない。だって、愛の子どもなのだもの。
愛の化身、現れなのだから。そうやって生きるしかないのだなと、そんなふうに想います。

それでは、またお会いしましょう!
今日もMARTHのたわごとをお送りいたしました。
それでは、おやすみなさい。

MARTH

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