#107 すべてが一体であると見る意識と、現在世界を覆い尽くす分離の争いの恐れを信じた集合意識について(オープンセッション)

#107 すべてが一体であると見る意識と、現在世界を覆い尽くす分離の争いの恐れを信じた集合意識について(オープンセッション)

はい、夜のたわごとのお時間がやってまいりました…。
リリも今、休みましたので、お部屋のベッドに帰りました。

ということで、ご質問があります!
Q:MARTHさん。すべてが一体であると物を見る。また、分かたれた物として世界を見るとおっしゃられています。
要は、2つの視座があると言われています。
そのことについて、深くお伝えいただけないでしょうか。

というご質問なのです。
非常に重要なことを問うていただきましたが、文明も一万年ぐらいさかのぼっても、この2つがあります。

この宇宙、この世界、すべてが一体であり、神の夢であるというように見てきた古代人たちですね、これが主流としてあったと思います。

しかし、言葉が生まれ、名称付け、また知識というものになって、思考の世界…というか、この分離を元にして、“考え”というものは言葉・名称付けでできていますから、分かたれたものとして感じるようになったと思います。

そしてそのような民は世界を分かたれたもの、バラバラなものとして見る、ということになったと思います。

ですから、ひとつでつながったもの。例えば身体も、心臓とか肺と名前をつけなかったらどうでしょう。
これらはつながった、一体のものですね。
でも、これを「肺」。ここからここまでってつながっているのに…昔、若き日に手術した事があり、たぶん盲腸かなにかだったと思いますが、引っ張られて、心臓まで引っ張られる感じがしました。
つながっているんですよね。
そのような意味で、言葉を付けて、名称を付けてしまうと、あなたは「心臓」、ここの部分は「心臓」。ここは「肺」。ここは「肝臓」ってつけたら、バラバラな感じがしますね。一体なものが。
そのような分かたれたものとして世界を見る。というのが今の分離社会です。
これが、行き着くところ闇となってゆく。戦い、闘争、比較、恨み、憎しみ、殺し合い、奪い合い、支配、隷属、盗む…そのようになってゆくのです。

一体のものであると見ていない。
日本は、古代が完全に縄文も含めて一体のものとして見るという民族性が本当はあるのですが、今はいろんなのが混ざっていますから、みんな価値観が違うと思うのです。

やはり分離したものとして見る人も沢山いるわけです。
だから、西洋科学というものも含めて、一体のものを一体として見ないということもそうですし、分裂、分離、ケンカ、戦争、戦いを推奨するような世界が続いてきたと言えるのではないでしょうか。

それは、私たちの本質である、この宇宙の本質である一体性と違うので、メッセージが来ます。

目を覚ませ、いい加減にしろ!気づけ!と。
破滅に向かう、滅ぼされる、終焉するとか、霊斬とか、いろんな言葉がありますが、やはり一体の世界の中で、一体でないと信じて生きる方が妄想ですから…。

なぜ、妄想かというと、名称がなかったら、“分かたれている”と思うのは難しいですから。
心臓と肺ってついていなかったら、これらが分かたれているもの、心臓と肺があることすら、わからないですね。

そういった意味で、この宇宙というのは素粒子レベルで全部つながってしまっています。素粒子の目があったら、と昔よく言っていましたが、素粒子が見えるメガネがあったら、境界が非常になくなってしまいます。境界線がないということは、どこまでが分かたれているかわからなくなるということにもつながるわけです。

それから、境界がないというだけではなく、五感というものもちょっと影響するのです。

要は、自分の身体というのが触覚によって「ここまで」ってわかってしまいますよね。今の五感の体制…。

瞑想をやられている方はおわかりのように、深く入ってゆくと、身体が自分ではなくなります。目は開くので、見ると自分の足が見えるのですが、他人の足に見えます。
そのように、瞑想によって五感が消えてゆくのです。

五感が消えてしまうと、この肉体が自分ではないです。
それから、もっと深く入って、真我に還ってゆきますと、自分が誰かもわかりません。誰か、いつか、男か、女かも含めてすべて消えます。

ただ、意識がしっかりあるという状態。だから、肉体がもう自分ではなくなったあとに、今度は自分の肉体脳が、分離が自分ではなくなってしまいますので、結局、真の自分というのは、真の自己というのは純粋意識、純粋な、誰かも、何も、分かたれのない意識。
分かたれ、分離のない意識が純粋な意識です。

それなのに、分かたれがないのに意識がある。とかく人類は分かたれがあるから意識があると思っているのですが、瞑想をされている方たちは皆さんわかっていると思うのですが、深く入ったらまず身体はない、自分ではないです。それから、もっと深く入って真我に還ると、幽体離脱とかそのような自我の行為はないです。
もう自分はいない。誰だかわからない。いつかわからない。どこかわからない。何か、何も考えられません。

ただ、意識があります。
ですから、純粋な意識というのは、一体性の意識です。
それが真実で、また素粒子もそうなっています。

原子も、素粒子も、この分子というものをつくる前のものはすべてつながっています。

分子って、言葉とか名称付けにちょっと似ているのです。

逆に言うと、名称を付けてゆくと分子が強まる。
分子化現象、物質化現象が強まるわけです。

で、プラズマとかシディとかは、物質化するという力を持っています。

しかし、人類がみな分離の価値観を持っている。分かたれの価値観を持っている。その集合意識がものすごい強いわけです。

そこで愛とか、平和とかを願っても、瞑想家の方が何千人と集まって世界平和を願うとか、そのようなことを一生懸命やられている、そのような立派な想いの方たちがいます。また、いろんな病気を治すことのためにそのシディを使うという…。

ところが、人類の集合意識は分かたれとケンカ、ネガティブなのです。現在、分離の恐れでいっぱいなのです。
それが深層心理の中で現実化されている世界ですね。

だから、平和を願う、健康を願う、愛を願う、
愛しさを願う、幸せを願っても、またその祈りも、要は分離社会の集合意識が強いために、要は物質化の影響が非常に難しいです。

そういった意味で、これからは、ティナなんかは第二章でプラズマを使ってゆきますよね。
あ!まだそれは公開していない…まもなく、ティナの第二弾が、「約束の場所」の第二弾が出てくると思うのですが、まだ一作目のアニメがまだ正式アニメが公開していないので…第二弾の話をしちゃいけないのかもしれません。

シディの達人である、一万年前の半霊半物質時代の方たちの連携として、プラズマを利用して世界を変えてゆくという…ティナたちの試みが、楽しみです。

要は、ネガティブな集合意識、分離意識、ケンカ意識、戦い、恐れ、不安、そのようなものが覆い尽くしている闇のこの世界。
恨み、憎しみ、怒り、絶望感、悔しさ、差別、あらゆる痛みの想念、分離想念が覆い尽くす世界の中で、愛を取り戻す、一体性、愛と勇気、正義、真のその方の本質、本当の美しさ、あらゆる人類の愛を取り戻すために、ぜひとも、そのような世界を創ってゆけるように、そのようなプラズマやシディを、ティナたちは試みてゆくみたいですよ。
この第二章で。

今、第一章がまもなく、半分ほどできましたので、あと半分のところが今、どんどんあがってきていますので、まもなく公開されると思います。インターネット上で出るのだと思いますが、劇場もやるのかな?ちょっとそのあたりはわかりませんが…。楽しみです。はい。

それでは、今夜はこれで終わります!
また、お会いしましょう!
お相手は、たわごとMARTHでした。
おやすみなさい。

MARTH

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