#109 人類が自我(分離感)のままでいるなら、深層心理で恐れを実現してしまい、個人であろうと集合意識(団体)であろうと、恐れを実現する人々となり、思うような美しい人生にはならないだろう…(オープンセッション)

#109 人類が自我(分離感)のままでいるなら、深層心理で恐れを実現してしまい、個人であろうと集合意識(団体)であろうと、恐れを実現する人々となり、思うような美しい人生にはならないだろう…(オープンセッション)

はい、たわごとのお時間です!
今は夜になりました。リリが歩いています。これから最後のお散歩に行って、おトイレをします!

ご質問が2つ来て…2つではないのですが、2つ選んで、お読みします!

Q:MARTHさんのお話を聞いていると、集合意識であろうと個人意識であろうと、深層心理こそ、人の幸せに最大の影響を持つのではないか?と思いますがどうでしょうか。

はい、ということで、おっしゃるとおりです。
この方がおっしゃっているのは、シディとか、プラズマとか、自己実現、物質の世界の実現のことをおっしゃられているのです。
要は、この世界というのは想念によって、また、“こうしたい、ああしたい”というようなものによって、物質化ができるのですが、それが深層心理、深い心理のときに実現するのです。

それは瞑想などをやられている方はご存知だと思われますが…特にヴェーダ系の方ですね。
要はマントラを使って普通は中に入ってゆき、使わないでもできる方はそれはたくさんいると思いますが、マントラを使ってまず顕在意識では実現しないので、マントラを使って変性意識の中に入り、なるべく真我、要は自我意識を失ってゆく。
そのために、シディに入る前には五感を消してゆくのです。

そのようなことでわかるように、深層心理が実現してしまうのです。
その五感を外す手前の段階です。その中ではまだ自我があるわけです。
そして自我があるということは分離があるのです。そして分離があるということは、恐れがすごく強くあるということなのです。

恐れがものすごく強い。
それが深いところにある。そして深いところを実現してしまうというのが、この方がおっしゃられている個人意識です。

で、またそのような個人がたくさんいる。
要は自我意識を持った人がたくさんいる、分離、ということは怖い。恐怖です。

そこから、人を支配するんだ、やっつけるんだ、管理するんだ、人が怖い、戦うんだ、ケンカするんだ、奪うんだ、取るんだ、競争だ、比較だ、ということになるわけです。
そのような悲しみ、この個人の意識、個人が深層心理、分離しているとそのようなものを自己実現すると言うのでしょうか、物質化現象を起こすということをこの方はおっしゃられているのです。

で、それが集合意識であろうと、個人意識であろうと、と言われているのです。

MARTHさんのお話を聞いていると、集合意識であろうと、個人の深層心理から実現することであろうと、その深層心理こそが人の幸せに最大の影響を与える、持つのではないか、というようにおっしゃられている…そのとおりなのです。

それで、この世界がこのように闇となっています…。

要は、皆さんが“神”と呼んでいたり、創造主と呼んでいるもの、なぜ創造の“クリエーション”と言うのか。
要は、この物質世界を想念によって創っているという意味です。
そしてその子である人類は、同じように小さな範囲だけれども、自らで人生を創れるということです。
ところが、分離している意識だと、どうなるかということです。
分離していると恐れが大きい。小さいときに怖い、分離を信じて、両親が分離をすごく信じていたら、こんなに怖い、あんなに怖い。
その怖いまま、深層心理が人生を創ってしまうわけです。

だから、目の開いた人たちは自我の終焉、無我、ノーマインドをすすめるわけです。

分離しているということは、宇宙全体が自分じゃないということなのです。
“私と他”、要は相対性ということなのです。

ところが、本当の真実は、すべてが自分なのです。
要はすべてが神、また、すべてが創造主体、すべてが真我なのです。

で、自分はその一部なのです。
だから、細胞さんと似ているのです。
細胞は自分の身体ですよね。
僕の自分の細胞は僕自身ですね。
ですが、細胞さんが独立・孤立したと信じると、中で戦い合ったり、競争したり、比較しあったり、劣等したり、うぬぼれたり、過信したり、そのような分離を起こすのです。
そうすると、恐れが生まれます。
全部が自分だったら、「ああ、すべてが、風も、鳥も、大地も、山も全部自分だなぁ~。すべてが自分だ、万物全体の自分は一部だ」と思っていれば安らぐけれど、その時は癒やしです。
その時は、イヤシロチ、というようになります。

ところが、「自分は勝つんだ!偉くなるんだ!すごくなるんだ!怖い!やられちゃうじゃないか!やっつけられちゃうじゃないか~!」みたいになったら、世界は敵に見える、世界が分離したものに見えます。

それが、人類の苦しみだということをご質問されているのです。

そして、おっしゃるとおりで、その能力を万物からもらっている。要はなんの能力か。それは創造能力、クリエーションです。人生を創れる。
ところが、自我として創ろうとすると、自我というのは必ず恐れにさいなまれているのです。
その恐れで「こうなっちゃうんじゃないかー、ああなっちゃうんじゃないかー、やられちゃうんじゃないかー、負けちゃうんじゃないかー、ひどいことになるんじゃないかー」ということを実現してしまうのです。

だから、人類には愛が必要、一体という愛が必要、自我の終焉という愛が必要、すべてがひとつであるという愛が必要と、目の開いた人たちが言い続けてきたのです。古代から、ヴェーダの、いや、1万年も前から…。

そしてもうひとつの質問なのですが、
Q:人類が分かたれの意識のままであれば、恐れを物質化し、苦しむのは必然だと思えてきます。
闇も光も同等にその中にいます。

というご質問…なのか、メッセージをいただきました。
おっしゃるとおりです。
要は今のこの世界では、あらゆる人が自我意識でいるのです。分離意識。分離意識じゃないものはなんなんだ!ってお聞きになられる方がいるとしたら、それはすべてが自分だ、逆に言えば自分などいない、万物しかない、一者しかいない、神しかいない、創造主体しかいない、真我しかいない、大我しかない、私などいなかった。私はその一部にすぎない。大我そのものにすぎない。自分などいない。個人などいない。という意識です。
これが無我意識。万物意識。
それで世界を見る。これが和すること。日本人はそれを習ってきたはずです。
縄文の民もみんなそれを習ってきました。
要はすべてが自分なんだ。自然界全体が…。
それが愛です。

あらゆる人々が、全部が自分なんだ。だから他への思いやり、愛しみ、そのような他を支える想いや、その支配とか隷属とか、勝つとか偉くなるとか、すごくなるというような分離は醜いものと、この国ではされてきました。

それはイザヤ氏が、イザヤさんがそのような想いでしたから…。和することを何よりも大切にして、自己拡大を本当に嫌って。それは天がそうだから、万物がそうだからです。
どうしても、“自己”というものが強まってゆくと、それに比例して恐れが強まります。
自己を拡大すればするほど恐れが強まり、それが深層心理となり、それを実現してしまうから損なのです。部分としてみても。

そのことを人類が知ると、他を思いやり、他を大切にし、動物たちや花たちや菌さんたちは、常温で核融合します。
細かい世界はプラズマの世界なのです。
奇跡の世界です。
物質化現象の世界ですね。

だから人類は、すべてが一体で、愛で、すべてが自分がと…。
他のものなどいないのだ。他などないのだ、という意識にこれから入ってゆくでしょう。
そうすると美しく、素晴らしくなってゆきます。
幸せになるし、愛されるし、自らを愛するし、自らを罰することも、罰を当てることも、気づかせようとすることも、滅ぼすことも、破滅に向かうこともなくなります。

幸せになって、愛し愛され、助け合い、支え合うことができるでしょう。

本当に美しく生きることが可能となります。
そんな世界をみなで創って行けたらいいなと、つくづく思います。

人類には、そのような素晴らしい可能性があります。
愛し愛される。一体の世界。愛の世界。それが真実です…。

それでは、またお会いしましょう。
たわごとばっかり言う、MARTHでした。
それでは、また。おやすみなさい。

MARTH

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