Vol.40 この世界は物質映画のような非現実世界であることについて、質問がきました。それに答えるMARTHの凄まじい回答…(オープンセッション)

Vol.40 この世界は物質映画のような非現実世界であることについて、質問がきました。それに答えるMARTHの凄まじい回答…(オープンセッション)

はい、今日もお外でたわごとのお時間がやってまいりました。

今日もヒーリングさんのアトリエでお送りしております。

リリは、申し訳ないのですが生理中なので、今、上からこちらを見ております。

ということで早速始めたいと思います。お外でたわごと。たわごとですので。

 

今日もたくさんの理知的な、科学的な方々からご質問等が次々に上がっておりまして、まず最初は「Q:MARTHさんはなぜ経済界をおやめになったのですか?」ということです。20代でなぜすべてを捨てられたのかということなのですが、腐敗というか、塔に登る愚かさとか、そのように思ったんです、若い頃。やっぱり、自分を観るセミナーに出会ったことや、精神世界やニューエイジやいろんなものに出会いましたからね。

地位や名誉、お金とか、そういうものの行き先というか、まあその辺のことに対する…競争社会、分離社会ですね。それに対しての問題を、不正観というのかな。父がそういう、厳しく正義感の強い人でしたから、耐えがたかったのでしょう…。腐敗が嫌だったのでしょう。

「その当時、多くの美しいハートの方々が腐敗した社会をやめていかれたのでしょうか」と。

まあそうでしょう。僕だけに限らずたくさんの方はやめていかれたと思います。愛のある正義のある方たちが、そういうものに気づかれてやめていかれた方もいるし、残られた方もいると思われます。

その方たちは、もう戻らないと駄目ですね。ご質問の中に書いてあります、「素晴らしき愛のあるリーダーの方々が、今、日本にいないということでしょうか」 ということで。あの当時もそうですけれど、社会が腐敗すると、地位とか名誉とかお金とかそういったものを否定されますね。

そうすると、善良な人からやめていってしまう。そんなこと言われてまでやりたくない、大変なんだと思うし、経済を動かすということは、ものすごく大変なことですから。リスクも大きいです。そういうことを言われて、民に、世の人々に嫌われながらやりたいとまでは思わないというのが常というのか、やはり善良な人は皆、やめてしまうと思うのです。

愛ある方、力とは愛ですからね。愛がない人は力を持ったら危険です。それはうちの父親もずっと言っていましたが、東京地検でしたけどね。法務省で囚人の回帰の、法務総合研究所というところの研究員だったのです、僕が彼の精子だった頃。それが(僕の中に)すごく入ってるような感じがして。やっぱり善良で生きる。真っ当で、正しく生きるっていうのは一体性がいるのです。一体性のある人が、やはりたくさんリーダーになっていただいたり、政治や公務員の方や、そのような愛のある立派な方…。何て言うのかな、馬渕睦夫さんみたいな、ああいう方が本当の公務員ですよね。そのような立派な方、愛ある方、正義がある、見識があるというのか、そのような方たちが国を治める、あらゆるところのリーダーになる、また豊かになっていただくという…。ところが豊かさを否定し、また権力、地位、名誉を否定する、社会が悪くなっていれば、リーダーが腐敗していれば当然、そのようになって、だったら自分はやめたいと、やはり善良な人は先にやめていってしまいますね。

愛ある人たちがリーダーになるべきだし、そういう方たちが世の中をリードするべきです。

「愛と正義を持った強きリーダーの方々がたくさん生まれ、また真の美しきリーダーに戻っていただきたいと思います。 愛を貫く美しい正義のリーダーの方々、社会に戻ってくださいMARTHさん」

…みたいなことを言っていますけど、この質問の方は。僕はもう歳ですからね、若い方で立派な正義の方たち、お願いします。日本を世界を。愛のある方が経営者になり、一体性を持った愛のある方が、法曹関係に進まれたり、あとマスコミにも、愛のある正義のある方になっていただきたいし、公務員の方も。やはりそうでないと、やはり腐敗して犯罪とかいろんなことになります。そうすると、うちの父親たちは仕事が忙しくなりますね。ですから、愛のある正義のある生き方をされる方がリーダーになって、豊かになっていただいて、世を引っ張っていただいて、民をよろしくお願いします。そのように思います。

今日はその辺のご質問がすごく多いのです。あとこの前僕が、“カルマ”というニューエイジの方でよく言う言葉を言ったんですが、「カルマとは分離の観念と、MARTHさんがおっしゃりました。そこを詳しくお教え願えないでしょうか」っていうご質問。

カルマとは分離の観念なのです。要はこの世界って一体の想念、神の想念というか、創造主体、真我の想念体系であると、まず、たわごとと思って、まずそこを確定しましょう。

この世界は万物の、森羅万象の想念でできている、要は神と言ってもいい創造主と言ってもいい、なんと呼んでもいいのですが、何かの想念でないと素粒子的にはおかしいのです。

素粒子を調べると想念になっていますから。で、それの世界、一体の世界です。

で、その一体の世界の中で、分子というのは想念でできていますからね、素粒子が。分子って想念でできてますでしょう? ですから、結局、この物質世界というのは想念の世界なのです。

 

そして、想念というのは考えですね。人間だけがなぜか、科学的にある程度の範囲を創造できるように、なぜかなっているんですよ。自分で自分の環境をある程度。だから神の子とか、創造主の子と言うのでしょう。古代の人たちが。ムーの人たちはそう言っていますよね。だから、想念でできているこの物質世界というのは、“夢の中の「人」”と一緒なんですよ。それはどういうことかと言うと…これ、僕話していいのかなぁ。みんな、「いいよ、いいよ!」っていうかもしれないけど。(笑)これいいのかな。

インナーの方がいいのかな、どうかなと思うのですが。ま、みんな信じないでしょうから、たわごとですからね。一応軽く触れておきます。あとはインナーで。

この物質の世界って物質映画みたいなものなんです。夢の中で人が出てきたら、その人死にますか?ということなんです。

なんでイエスが「永遠の命」と言ったかというと、この世じゃない、現実じゃない、想念世界、夢の世界、真我の夢だってことになりますと、それぞれの部分が、自我的部分が想念で自分の環境を作れる、ということになるのです。

 

お、またお隣さん、芝刈り始めた。穏やかな日です。空は青空です。そんなことで、なんというのかな…。 この世という夢、僕らが夢を見ているときにいろんな人が出てきます。あの人、死ぬでしょうかっていう話です。あの人、夢の中で出てきた人って実在ですか?と。

だから、偽りの自己とか、いろいろと言うのです。

ここに、ご質問の分離の観念が…。だから分離の観念というか分離を信じた想念、観念は、カルマですよね。カルマの観念は自我のことです。

自我というのは実在しないのです。「そんな訳ないだろ、実在してるだろ」と思われるかもしれませんが、夢の中の人っていうのは実在ですか?夢の中で出てくるのはみんな実在だと言うなら、だからこの世界、神の夢のようなもの、創造主体の夢のようなものだと、量子力学を調べていくと、想念なのです。これはもう、ムーの霊感の書にもそう書いてある。そこから色即是空になっているのです。

僕の先祖も何千年にわたり、色即是空というか、空海が開いた寺ですから、僕の体中にそのような価値観が入っちゃっているのです。

(僕の先祖は)基本的には景教です。景教、ということはキリスト教でしょう。キリスト“教”ではないですね、キリストの教えでしょうね。

古代ユダヤの方々からは、価値観が一体性、 ムーの霊感の書、要は色即是空ですね。この世でない、現実じゃない。ソクラテスです。知らないことすら知らない、永遠にわからないところ、夢のようなところ、物質映画なところ。 夢のまた夢、そのようなことが古代ではわかっていたのですね。ヴェーダも然り。 量子力学。要は物質が想念であるということが基本でないと、シディに対しても、理解は難しいです。

その辺をよく、理解していただくには、アニメを作りましたので。アニメは今もYouTubeでは流れています。そういうのを見ていただくと、何となく、つかめると思いますが…。

「Q:その神の夢、意志、想念、想像の世界で生まれる、分子と呼ぶ“分かたれ”に見える物質映画だとMARTHさんは言っています」と。「その本当の質というのは一体なのでしょうか」というまたこれも理知的な科学的な。まあ、科学者の方からのご質問ですけどね。

どんなに分かたれて物質が見えていても、その本当の質が一体である場合は、自我は存在していないということを言われていらっしゃるのですかっていうご質問。その通りです。

存在していないものは、終わることはない。

夢の中の人は死なないですよね。死ぬような役を夢の中でしても、元から生きてないのです。だから前から言うみたいに、私などいない、プールで泳ぎながらも、水でもない、この世でもない、自分もいない、生まれてもいない、生きてもいない、木でもない、山でもない、川でもない、誰でもないというのは、夢の世界だということが、本質に還っていって、自我の終焉、または分離の終焉、だからイコールカルマの終焉ということになるのです。

 

精神世界は、ずっと否定されてきたりしました。

ある意味間違っていること、いっぱいあるんですよ。でも真髄的には古代の叡智なのです。

で、またそれを利用して悪いことをしたりいろんなことすると、それがちゃんとバチになったり、自らが滅ぼしたり、自らが破滅させたりするほど、神の意識と言うか、人間って誠実なのです。

自らを罰する。だから愛で生きないと駄目なんですね、誰もが。

それでできている。この世界もそれでできてるのです。

 

存在してないものは死することも終わることもないと、いうことですよね。

存在しているなら、それは終わりますし、死はあります。永遠はないです。たわごとです。

 

ということで次の質問。

「Q:真我とか大我とか、真の自己と、MARTHさんが呼ぶものの意味は、また創造主体、分離との関係について、お話しいただけませんでしょうか。」、「なぜ真我、なぜ大我と呼ぶのか、なぜ真の自己と呼ぶのか」というご質問もあるのです。

これは大きい我、と書きます。あと真の我。真の我というのは、この物質映画を観ている、その本人という意味なのです。

では僕らはと言うと、その子ですから、全人類。

人間はある程度小さい範囲の創造ができるのです。それが厄介なのです。

ネガティブな意識。分離の意識を持っているとそれを実現してしまうのです。

これ、後で出てくるのですが…、 シディについてご質問している人もいるんですよ。

今日は質問が盛り沢山ですが、似たような内容なので、まとめて今出しているのですが、分離の観念に基づいて動く、僕らの通常の肉体脳、自我ですね。この分離社会の価値観でこれは動いています。それと別個の真我の子としての意識っていうのがあるのです。だから、この方のご質問で「大我」、大きい我と書いて、あと真我、真の我、それから真の自己。真とか大きいとか、これは神とか万物のことです。それが自分をいつも管理しているわけです。肉体脳ではなくて、宇宙が。これは量子コンピューターみたいなものです。

宇宙全体とつながって、その指令を受けていると言うのかな、それが素粒子です。それが、分離を信じると電子がきれいに回らないとか、森が怖がるとか、イヤシロとか、穢れとか、分かたれ。分かたれが穢れなのです。これは疲れちゃいますね。全部お答えしていくとね。聞かれる方も疲れちゃうから、もうやめましょうか。だめですか。

疲れてきましたが…。全部言っちゃっていいですか、そのことも。人類はそこまで来たのでしょうか。

もう一度言いますと、大我とか真我、本当の自分、真の自己というのは、量子コンピューターのように宇宙と繋がっていて電子は綺麗に回り、イヤシロの中にあるのです。肉体脳は今、残念ながら、社会が分離している価値観を信じて1万年ほど来ましたので、一体性というのは一部分の人たちにしか残ってないのです。そうなりますと、戦いとか競争とか喧嘩とか、そういったものを信じている世の中なのです。競争とかね。そうすると真我は一体なので、全部自分の夢なので、愛の夢を見たいので、やはりメッセージするのです。おまえ、それ違うぞーというのを、それぞれの素粒子は一体なので、遠くの宇宙の果ての果ての果ての素粒子が何かに気付いたら、もう一瞬でこっちの素粒子も気づくのです。

素粒子と呼んでいますけど実は神の粒子、ヒックス粒子という意味ではなくて、神の想念ですね。ですから、部分の自我の想念というのは、今すごく残念な状態になっている。

ちょっとお問い合わせが来ているこの方の、「Q:MARTHさんのことは知ったばかりなんですが、『君と逢える約束の場所』のイメージ動画フルバージョンを観させていただき、大変素晴らしい内容だった」と。ありがとうございます。「作品が出来上がるのも楽しみです。ところで質問させていただきたいのですが、シディ、シディシステムとは何でしょうか」、と。

「Googleで検索しても出てこない」、そうなんですかね、発音がちょっと違うんですかね。

シッディって言うのでしょうか。これはインドというか、ヴェーダ的な言葉です。

メディテーションの世界の言葉です。これはある意味、ここにも書いてあるですけどね「MARTHさんがお話しされている動画もいくつか少し拝見…」全部観てもらわないと駄目ですね、いろんなこと言っていますから。「シッディという言葉は出てくるけれども、意味を話している動画にはまだ出会っていない」数を見れていないからね。はい、「シディシステムの意味を知りたくてなりません。数少ない情報の中で今時点で私の予想は、 素粒子システム、つまりはじめに思考したことが、思っていることが現実化するという意味でしょうか」。まあそうですね。そうですが、シディのテクノロジーというのは、メディテーションの世界、古代のムーの時代から来るのです実際は。インドでは、ヴェーダでそれを薄く残しているのです。要は変性意識、顕在意識と我々が呼んでいる非常にあの肉体脳の…今、肉体脳って分離を信じているのです。ですから非常にカルマ的思考…。これを要はいい悪いではなくて、言葉を信じている世界なのですね。言葉ということをちゃんと分析しますと、名称付けでできているのです。

言葉っていうのは、「これをああ呼ぼう、ああ呼ぼう、ああ呼ぼう」の束なのです。言葉というのは名称です。木、山、空、花、バラと呼ぼうということなのです。

これは分かたれです、「分・か・る」、「分・け・る」っていうことなのです。

ですから、言葉というのはバラバラにしてしまうのです。

そういう想念というのが言葉だとすると分離でできている。そういう世界なのです。

これも健在意識というのでは物質化しないのです。あまりしないのです。ところが変性意識という、なるべく万物の意識に近づく、要は無我意識。または分離の終焉。変性意識というのは言葉をだんだん失うのです。 例えば愛してる時、衝撃を受けた時、黙る。言葉を失うというのも一種なのです。あとは精神世界ではマントラを使って中に入る、またはセラピーによってあらゆる抑圧、鎮圧、そういう怒り、憎しみ、悔しさ全部吐き出す、そのようなセラピーの後に万物が入ってくる、流入するとか。

 

あとマントラを使ったり、そういうサイキックを使って中に入る。中に入って、偽りの自我を失っていく、そうすると本質の、本来の無我的意識が出てくるのですね。そうすると、言葉がすごく減るのです。そうすると言葉が減るので、真我に、深い意識に近づくのです。変性意識が深まって深まって…。変性意識になっていく、通常意識には、嗅覚・味覚・視覚・聴覚・触覚というのは邪魔なのです。 これがあると、自分の範囲がこの範囲だ、この範囲だって感じがするのです。ところが五感を全部取ってしまいますと、どこまでが自分かもわからなくなるのです。

これをあえてその中に入っていった時に、これマントラでもいい、マントラというのは真言という意味で、意味のない言葉、という意味です。意味があってはマントラの機能はないのです。

意味のない言葉で中に入る。意味のない言葉を言っているとだんだん、普段は頭の中で意味のある言葉で、名称がバーって動いているわけです。それが意味のない言葉をずっと考えていると、だんだん意識が遠のいていくのです。

これがマントラの作用。真言。真言って「人生意味なし」という意味なのです。

そういう変性意識というか深いメディテーションの状態になった時に深い、その時に五感がなくなっていくと体も自分の体じゃない感じがします。もう触覚がなくなります。

ただ、他人の肉体に見えるようになります。そしてスートラ。これ、言っていいのでしょうか。だめなんじゃないの、インナーの。言っていいの?ちょっとすいません。怒られないの?大丈夫?

たわごとですから、信じないでください(笑)。

スートラというのは、これは意味ある言葉です。そのスートラをその深いところでやりますと、これはシディという、これはサイキック状態が起きます。要は物質化現象というんですね。反重力とか壁抜けとかテレポーテーションとか…。

プラズマの中で起こることが、いろいろと起こるという。それを“シディ”と古代から呼びます。

“シッディ”というのかな、これはインドの言葉じゃないですか。サンスクリット語かなんかじゃないですか。僕はそこはちょっとわかりませんが。

 

あまり言葉には、そんなに価値はないです。要はサイキックだっていうことです。

これは、そういうことが起きるんですけど、3000℃ぐらいの温度の中でプラズマ化されるんですね、いろんなものが。

HEALING.さんがやってるのは、雷の7倍くらいの電気がかかった水でいろいろとやっていますよね。今度、屋久島だってそういうのをやっていますけど。

そのプラズマと似たようなこと。要は分子の世界ではなくなってしまうのです。

どんな世界なのかっていうと、素粒子の世界。素粒子の世界って、想念の世界なのですよ。ですから、そもそも現実ではないのです。

これもたわごとだと思って聞いてください。

現実じゃないです、この世界は。これ全部物質映画なのです。

そのことは、ムーの民は知っていました。霊感の書で残っていますからね、石版に。

日本の民は優秀だと海外の方は言いますけれど、優秀なのではなくて、一体で動いているのです。自我の突起を嫌う民族になっているのです。それはムーから来て、またイザヤさんたちもそうでしょうし、和する民なのです。

全体でひとつなんですね。全体主義というのとも違う。宇宙的一体性。素粒子的一体性。

「一元に帰す」というのは、武士が言っていますね。

最後の死する時に、一元に帰す。あの時代からそういうことを言っているのです。

すごいんですよ、自己拡大、自我の主張、高揚、 勝った、偉くなった、すごくなったっていうのを嫌うんですね。古代日本の民は。またヤマトの民。勝つとか偉くなるとかすごいとかを、嫌うのです。

思いやる、愛しむ、察する、共に生きる、皆を愛する、そうやってリーダーの方はやっていただきたいのです。

経営者の方も。日本の民だというなら、大和の民だというなら、ケンカしないで戦うんじゃなくて、思いやる、愛しむ、一体だから。この一体な未知なる世界で安らいで、はじめにこの方がおっしゃるみたいに、愛を持って、(愛を持っている)なら、偉くなっていただいていいです。豊かにお金持ちになってください。

リーダーになってください。素晴らしい政治家になってください。素晴らしい、トランプさんのような素晴らしいリーダーになっていただいたり、素晴らしい正義のある宗教家になってください。

素晴らしいお坊さんになってください。素晴らしいニューエイジの方に、愛のある、一体性があるなら、公務員の方に、馬渕さんのような立派な方になってください、と思います。

でも、分離を信じていたら闇となります。

ですから、その方も愛の現れです。どんな人も、どんな重犯罪者の方も愛の現れで生まれたのだけど、分離を信じてしまった、この地上で。

それは間違いです。この世界は一体です。神の想念の世界です。

科学的にそうです。調べてください。量子力学、とことん突き詰めてください。

物質は想念です。

そして、一体の愛の想念です。

そこからずれると苦しみです。

 

それによって、想念の想像した恐れの想念…。分離って恐れですよ。一体って安らぎと愛です。なんだ、すべてのものが一体だったんだ、あらゆるもの、みんなと一体だったんだ、安心だ。

素粒子でみんな繋がっていますから、どんなに自我で肉体脳で、みんな戦い合っても、深いところでは繋がっているわけです。あらゆるものが、動物たちとも全部。自分で遮断してるだけですから、自我がね。ものすごい素晴らしい世界です。そこに戻ればいいだけです。

一体の世界、愛の世界に帰ればいいだけ。素晴らしいです。

で、それで生きている。戦っている人、かわいそうです。分離を信じて戦ったり支配したりされたり、嘘ついたり人を貶めたり、いろんなことしている人は、苦しいです。もうその想念によって物質化する、自分の環境・家族が全部そうなるわけです。そんなことしたら駄目です。

それで幸せなんてないんですよ、勝ったって偉くなったって、あれは人間界が言っている分離社会の言っているいいものって、全部嘘ですから。

本当のいいものは天が作ったものです。一体という、愛だという、それは一番いいものです。美しい女性、美しい男性、美しい建物、デザイン、美しい車、美しい電車、癒しのイヤシロの、一体の、あらゆるそういうものを生み出して、そういうものを作り、僕はもうささやかですけれど、小さいけどそういうものしか作らないです。

戦いに参加しません。

うちの父親も、あの東京地検の公判室長か何かやっていましたけど、もうまったく、裁判するなとかね、裁判担当なのに。「おまえ、絶対、裁判するなよ」。と、よく言っていました、うちの父親も。そういう悪い経営者とか悪い政治家の方とか、悪い、そういうのはみんな逮捕だー、みたいなことをよく言っていました。

でもいくら逮捕しても、また出てくるのです。それはもう分離社会を初めに教えておいて、戦いやケンカや競争を教えておいて、それをやった人が悪くなっていく、そうしたらその人を捕まえるというのは非常に不埒な感じがします。

この社会を良くしたかったら、平和な愛のある世界にしたかったら、一体性をみんなが学んでみんなそこから物を作っていく、創造していく、神に合った、天に合った、万物に合った、そのような仕事をみんながすれば、平和で幸せな世界は来るし、自分一人でもそうやっていれば、自分の環境が素晴らしくなってゆくし、また、そのようなことをみんなに伝えていけば、みんなで和する世界、愛の世界、一体の世界を創っていけると思います。そうしたら、あらゆることが素晴らしくなると思います。たわごとですけどね。

 

何とぞリーダーになられている方々、世界のリーダーの方は、愛を持って、一体性を持って、仕事をされていただきたいです。

公務員の皆さん、あと権力を持っている方々、地位や名誉がある方、お金持ちの方々、皆さん愛を持って、一体性を持たないと当然ご自分でもお分かりだと思うのですが、そういうあなたも神の子ですから。

愛で生きない自分が嫌ですし、許さないし、それほど誠実だし、それほど美しいハートの方々です、皆さん。

愛を持って、民を、また人類全体を愛して愛しんで、環境をもう全部愛してリーダーをやってほしいのです。

そのような世界のリーダーの皆さん、愛を持って、一体性を持って、科学的な素粒子レベルを研究されて、そして事業家になられ、宗教家になられ、政治家になられるならいいです。

しかし、分離や戦いを信じて、喧嘩や競争や不信感、恐れ、そこから物事を作ってしまったら、神の子である皆さんはそれを創造してしまいます、シディによって。要は現実化させる力があります、想念が。

分離と戦いからは、恐れしか生みません。そこから世界を作ってしまいます。そうしたら皆さんが望んでいる素晴らしい世界は、難しいです。自分たちの平和や安全も脅かされてしまいます。

誰に?自らの愛に、罰せられます。自らの神に。本質に。素粒子に。

そういうことにならないように、ニューエイジの方も、精神世界の方も、白魔術で生きていただかないと、白サイキック、愛でやらないと自らが大変なことになります。そういうことにならないように、しっかり互いにお勉強して、真面目にまっとうに、純粋にやらなかったら、自ら罰しますから。あなたはそれほど誠実ですから。愛ですから。どんなに俺は愛じゃない!俺は違うぞ、俺は悪だ!と言ったって、愛ですから。重犯罪者の方、うちの父親が関わった方たち、悟りを開く方、死刑囚でも、そういう方はおられます。そしてやはり、その裁く側の方々もですね、愛を持って、力を持つということは、愛を持って、 人が本質に戻れる、神の子に戻れる、そのことを切にお願いいたします。

皆さんで愛のある平和の世界を是非とも作っていきたいと。僕はいつまで生きるかわかりませんが、命ある限り皆さんが愛に還る、本質に還る、美しい本来のあなたに戻るのをサポートしたいと、つくづく願っております。

たわごとMARTH、終わりたいと思います。それではまたお会いしましょう、さようなら。

MARTH

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