この世界が闇となったのは、人類が分離を信じたからなのです…。
この世界が闇となったのは、人類が分離を信じたからなのです…。
この世界は闇のようだ…
そのように、今言われています…。
闇となった
それは、悪い人たちがたくさんいるからだ、ではないのです…。
この世界が闇となったのは、人類が分離を信じたからなのです…。
人類が、分かたれていると信じたからなのです…。
それによって、戦いや、対立や隔たりによって、傷ついた人たちが、どんどん恐怖で、身を守るために、闇となってしまったのです…。
ある意味、今世界中の人が闇です…。
心の闇、至福や、愛や素晴らしさがなくなってしまっています…。
そして、恐怖に満ちている…
そんな世界です。
小さい時に、バカにされた、差別された、笑われた、やっつけられた、けなされた、ひどい目にあった、ひどいものを見た。
そのような苦しい思いをした人たちが大人になり、その猜疑心から防衛する。身を守るために戦う…
それが蔓延している世界です。
そして、みなが自分が苦しいのは、自分がつらいのは、差別されたからだ、バカにされたからだ、やっつけられたからだ、と思っているのですが、実はそれは間違いなのです…。
だれもが苦しいのは、分離をしているから、自我だから、なのです…。
逆にいうと、自我がなくなってしまえば、分離がなくなってしまえば、人は至福に戻ります…。幸せに戻ります…。
小さい時に、バカにされた、笑われた、やっつけられた、さげすまされた、差別された、やっつけられた、脅された、だから、幸せじゃなくなったんだ。だから、地位や名誉がほしい。
金持ちになれば、すごい人になれば、ほめられれば、認められれば、尊敬されれば、幸せになるんじゃないか。勝てば、偉くなれば…と信じるわけですが、それは違うのです。
仮にそのようなものを、世界一すごくなっても、偉くなっても、苦しいままです…。それは、自分の中に分離があるからです。自分の中に隔たりが、要は自我があるからです。
自我があったら、幸せにはなれません…。
どんなに勝っても、偉くなっても、すごくなっても、強くなっても、ある人は身体を鍛えて強くなろうとするし、ある人は武器を持とう、ある人は地位や名誉を持とう、ある人はお金を持とう、あらゆるものを手に入れます…。しかし、虚しいのです…。
まったく幸せになりません…。それが、その証拠です。
地位があれば、名誉があれば、尊敬されれば、スターになれば、すごくなれば幸せになる…。しかし、ないから自殺する…
ないから苦しくなる、つらくなる…。
夢をかなえても、苦しいまま。いや、逆に偉くなったり、すごくなったりしても、虚しいまま…。
原因は自我、分離、戦いの世界だからです。分離の世界、愛のない世界のために、苦しいだけだったのです。
ですから、私は地位や名誉や豊かさを否定はしません…。
ただ、それだけでは幸せがこないとは言います。
全人類豊かで、全人類が尊敬され、愛され、認められ、当然それの方が良いでしょう…。しかし、愛がなかったら、分離があったら、自と他の分裂、分離が、隔たりが、対立があったら、私は、自分は幸せにはなれないということをお伝えしたいのです。
私は、父も、犯罪者の方々の回帰の仕事をし、そのときの精子です。とことん、人が幸せに生きるには、愛で生きる。犯罪者にもならず、悪いこともせず、闇の中に入らず、幸せに生きるには、幸せに、いや、そんなことしたくないほど、嬉しくて楽しくて、輝いて生きるには、愛が必要です…。
人からもらう愛ではなくて、一体の中に還る愛が必要です…。
万物の、愛の中に還る、その至福が必要です…。
そこから生きた時、真に豊かに、真に繁栄し、真に幸せを感じることでしょう…。
そのためには、何を手に入れても、どんなにすごくなっても、どんなに王となっても、悲しみでいっぱいです…。苦しみでいっぱいです…。
私は、20代の頃に、上場企業のオーナーになったり、またその役員になったり、また、日本中の人から、すごい実業家だ、青年実業家として、また、ありとあらゆる称賛や、そういうものを受けました。
しかしますます孤独となり、ますますそこにはなにもない空虚感と悲しみが、つのりました。
そのときにもそう想いました。なぜ、こんなに、夢のようなすべてを手に入れたのに、世界一、ある意味出世したのに、そこには何もなかったのです…。
その後、「自分を観る」というセミナーに出会って、そこで初めて、愛を見ました。
何もいらないと想いました。父にも初めて抱かれました。
腰が抜けるほど、そこで崩れ去りました…。
沢山泣いて、ボロボロに、そのときこそ、生きててよかった、幸せだって感じました。
決して、豊かさや、人々から愛されたり、認められたりすることが悪いと言っているのではありません。
しかし、一体性を取り戻さなければ、愛を取り戻さなかったら、それは無意味となってしまいます…。
他を愛しみ、他国や隣人を尊び、万物全体を愛し、人々を、世界中の人々を幸せにし、すべての人の喜びのために生きるときにのみ、また、周りを尊ぶときに、万物すべてを愛しみ、謙虚に生きる時に、自分を愛せて、幸せになるんだ。正義をつらぬくとき、真の正義、愛を、傷つけられても決して人を傷つけない。人を尊ぶ。
うちの母が、差別されて苦しんでいる女の子に、「あなたが差別したわけじゃないんでしょ。」
「私はされているんです。」
「よかったじゃない。あなたは、差別する人にならなかった。あなたの幸せは、決して傷つくことはない」って…。
ぜひ、皆さんに、世界中の皆さんに、真の幸せを取り戻してほしい…。切に、切に、MARTHは願います…。
追伸です。
先程、お読みすることができなかった、ご質問があります。
Q:
MARTHさん、地位や名誉、またはお金、異性、様々なものがほしいと思います。それを得れたら幸せになれるのではないか、そのように思うのも、自然なことのような気がします…。
MARTHさんはどう思われますか?
MARTH:
おっしゃるとおりです。そのようなものがあってもいいと思いますし、そのようなものがあれば、一瞬ではあるかもしれませんが、喜びとなるのは当然です…。
しかし、残念ながら幸せや至福は、一体性の中にしかないのです…。
ですからきっと長続きしないことでしょう…。
一体性、無我性、愛の中にこそ、幸せや至福はあるのです。
そしてその分離感、自我、といった問題は、古代から賢者たちがずっと伝えてきたことです。
なぜ、彼らはそんなに必死に無我とか、自我の終焉とか、愛とか本質を説くのでしょう。
実はそこに、深い秘密があります。別に秘密にしているわけではないのですが、ちょっとむずかしいのです。
それは、自我は、自我を良くしたいという、または自我を守りたいという野心が生まれるというのは自然なのです。
自我を持つと、自我を守りたい。または自我が良くなりたい、という野心を持ちます。
そうしますと、その分離した自我が、自己が、要はこれ“偽りの自己”と呼んでよいのですが…。
真の自己、または真我、本質へ帰るということではなくて、自我が夢を、野心を、念望を叶えたいとしたときのことです。
そうしますと、“こうなりたいのに”“ああなりたいのに”“こうあってほしかったのに、何なんだ、そうならないじゃないか”と言って、うまくいかなかったときに、誰かのせいにします。
あいつのせいだ、こいつのせいだ…。
自分がうまくいかないのは、自分の苦しいのは他のせいだ。あいつのせいだ、こいつのせいだ、このような状況のせいだ、というふうに、外側に原因を転化してゆきます…。
ところがそのときに、私が、自我が野心、念望を持っていたんだ、自我の問題だ、自我が期待したんだ、というふうに見ると、そのエネルギーは非常に小さくなってしまいます。
他へ向けていた怒りや憎しみ、反発が消えていってしまうのです…。
そこで、実は私など実は存在しなかった。万物だった。真我だった。宇宙全体だった。というふうに気づくと、その分離感は消えてしまいます…。
そのときに現れる安らぎ、そのときに現れる至福、安心感…これは無我の安心感、自我の終焉の安らぎ、至福です…。
そのような、自我が縮小したとき、隔たりが消えていったときの幸せは、本物の至福です…。
これで生きる時と、自我が念望を叶えようとして生きるときでは、まったく違った性質となるということを、古代から賢者たちは伝えたのです。
ですから、これは非常に科学的なものです。
人類はしっかり調べれば、心理学者の方々も、民間のトレーナーのセラピストの方々も、そこをよく調べればわかることです。
自我の野心や念望は害です。
自分の幸せを奪います。
そして地位や名誉をそれで得ても、たまに勝ったり、偉くなったり、すごくなったりしても、実は分離しているから、至福がないのです…。
この至福が、人類にとって何よりも宝で、何よりも素晴らしいもので、あなたを真に成功させ、真に豊かにし、真に繁栄させる最大の天からの贈り物なのです。
あなたがそれが、神の子である証拠であり、愛の現れである証拠なのです。それがないのに、地位や名誉や権力や支配をしても、何もいいことはそこにはないのです。
至福はいつも、幸せはいつも、愛の中に、無我の中に、私などいない中に、自我の野心や念望が終焉したときに、必ずあるものなのです…。
そこから行動する時、そこから行為する時、そこから生きるとき、あなたは最高に至福の中で素晴らしい未来を築くことができるでしょう。
そして人類がみなそのことに気づいたならば、人類は本当に素晴らしい世界を創ると私は確信しています。
素晴らしい未来、みんなが幸せになって、そして豊かで、素晴らしい健全な、正しい世界を創ってゆく。
そして、あまりの苦しみで地位を、名誉を、ありとあらゆるもの、尊敬を、スターにも、なんでもなっても、あまりにも苦しいということは止み、真にどんな状況でも幸せで暮らしてゆけることになることを、確信します…。
以上です。
MARTH
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