人が科学的一体性に気づくとき、自我の対立の苦しみで失ってしまった自由や天真爛漫さがかえってくる

人が科学的一体性に気づくとき、自我の対立の苦しみで失ってしまった自由や天真爛漫さがかえってくる

はい、今日もオープンなトークセッションを行います。

大変深遠なメッセージを頂きました。
Q:MARTHさんのお話を聞かせていただいて、大人気もなく泣きました。

私は、非常に著名で力のある父親に反発して、今その企業を継いでおります。

大変怖くて、強い父親でしたから、私は本当のことも何も言えず、一種反発、まぁ、もしかしたら恨んで、憎んできたのかもしれないと、お話を聞いて、その隔たっていた自分に、ちょっとショックを受けました。
私は本当のことが言えない性質になってしまっているのではないか。
人が信じれない、自分でやりたいことがあるのに、相談もできない。
そんな自分自身の生き様に、今直面しています。

できましたら、サジェッションをお願い申し上げます。

という、誠実なお便りをいただきました。
この方も大変著名な実業家の方です。二代目ですね。

僕は、一代目。まぁ、強い親父の側ですかね…。

この方がおっしゃられているとおり、これは家族の問題だけではなくて、前もちょっとお話ししましたが、大国に挟まれた、そういう啓発のというか、自分を観るセミナーの参加者の福島出身の方たちが沢山参加者におられたのですが、彼らに共通するのはやはり、伊達(家)と徳川(家)に挟まれたその恐怖と憎しみ。
そのようなことを皆さんがおっしゃられるんですね。年齢の高い方は。

やっぱり強いものというのは、小さいときにそれに反発する。
巨大な権力、力。それと戦うというね、環境にあられた方たちは本当のことが言えない。
人が怖いから隠して行動する。また、騙すとかね。

そういうことはやむ得ないんだと。怖いんだ。強いんだから。
となりますと、大きな力の中で、苦しんできた人々。そういう環境。まぁ差別もそうでしょうし、様々な痛みや管理、強力な他国も含めてですね。様々な方たちがその苦しみで傷つき、若き日のことですけども私のところに学びに来た、そういう方たちの苦しみ、痛みも聞きました。
まぁ人が信じれない。言葉で言うと猜疑心とか、疑いとか、そういうことでしょうね。

そういうことで天真爛漫さを失った、分離の価値観の中で、戦いや恐怖。差別への恐怖。その憎しみ、恨み。
そこから、見つからないように、様々な行為をする。

そういう痛みの方々もいるんですね。
そうして、天真爛漫を失い。まぁ、本人の方々は最初は、自分は頭がいい。警戒心が強い。一種注意深いんだというふうに、自分を説得して、そう思おうと試みているのですが

なんか変だな。この方がおっしゃられるみたいに、誠実におっしゃられるみたいに、なんか苦しいな。つらいなと。
それは当然のことで、やはり万物は一体性でできていて、天真爛漫。
要は不信もない。疑いもない。警戒もない。
要は無我。私などいないっていうことでですね。実は成り立つ世界なんですね。

そのことは、人類がまだあまりよくご理解されている方、少ないですから。
まぁ僕なんかも、いろんな嘘をつかれたり、やっつけられたり、いろんな目に遭いました。

でも、そんなときも、まぁ、自分の弟分みたいな人を守るためにも、自分はいろんなものを背負いましたし、そのときにいつも、許すこと。また、一体なこと。私などいない。
苦しいし、つらいし、怖いけど、ああ、私などいなかった。といって、こえてきたんですね。

で、自分の天真爛漫とか、愛とか豊かさ。
優しさと言うのかな、大きな心は失いたくなかったんですね。

つらいこと、怖いこと、苦しいこと。
自我の苦しみで失いたくなかったですね。

だから、またそういう苦しみの中で守られない立場の人もいるわけですね。で、それが万物の法則に合わないとしたら、自らの素粒子に罰せられてゆくという仕組みが、もし本当にあるのなら、やはり苦しいですね。

要は、この一体の世界。素粒子の海。まぁ本当は素粒子じゃないですよね。とてつもないものですよね。
そのとてつもない成分というのでしょうか。
それでできているすべて。分子のすべてが、原子、素粒子、いや、未知なるものでできていて、そしてそれが一体で、愛でできている。

で、それで自分の身体も、すべてできている。
そしてそれが天真爛漫でできている。愛でできている。一体でできている。
そうすると、自我の苦しみで失ってしまった場合、隔たりや、対立や、争いや、ケンカや比較、恐怖によって、それを台無しにしてしまったら。

また、その分離から行動、行為をしてしまったら、自らの天真爛漫な素粒子に、また、そのように呼んでいるフォトンや電子に、そう呼んでいる未知なるものに、目覚めろ!気づけ!というようなメッセージやブレイクダウンや問題、トラブルが

起きろ!気づけ!目覚めろ!というのが、来てしまう可能性は十分あるわけですよね。

で、そのようなことを人類が調べなければ、自分は完璧に用心深く、天真爛漫も捨てて、猜疑心で緻密に、組織だってやっているつもりでも、大変な問題が起こってくるということを、計算にいれてないんですね。

万物は一体で、愛でできていて、美しくて、素晴らしくて、至福で、天真爛漫から生きるときに、愛され、メッセージもせず、トラブルもなく、幸せに生きれるような世界としてなっている。できているということが、もし本当なら、科学的真実なら

人類が今までうまくいかなかった最大の理由はそこにあるということとなると思うのです。

ですから今この、誠実な方がおっしゃられているように。
自分は隔たって対立、父ともしてきた。
また、世の中とも(対立)してきた。

その対立や隔たりを、要は自我ですね。
自我の対立、自我の隔たり。自我の悔しさ、自我のつらさ、自我の、自我のありとあらゆる問題を

私などいない。自我などないということで処理して、愛へ還ってゆくというのがとても大事な作業であると、私は感じてなりません。

そのことが、人が本当に輝いて、素晴らしくなっていく。
そして真に繁栄し、真に豊かになり、自分を愛することができ、家族が本当に、また、周りが、企業が、国が、すべてが、本当に他の人を想い。民を大切にし、そして真に自分も豊かに素晴らしくなるっていうことが起こるんじゃないかなって、想えてなりません。

個人においても、部分というか自我においても、天真爛漫に一体の、隔たりをこえて、対立をこえて生きた方が、素晴らしく豊かに繁栄して、幸せに至福で生きれるのではないでしょうか。

そんな気がしてなりません。

ぜひ、人類の皆さん、科学者の皆さん、鵜呑みにしないで、調べて、突き詰めて、正確に真実を解き明かしていっていただきたいと切に願います。

それでは、またお会いしましょう。MARTHでした。

MARTH

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