素粒子は創造主体の想念のような夢でできている。 一元者の夢であるゆえに愛であり、すべては一体である

素粒子は創造主体の想念のような夢でできている。 一元者の夢であるゆえに愛であり、すべては一体である

今は地球人類のある意味緊急事態ですから、みなが幸せとなり、目覚めた方や悟った覚醒した若きリーダーが沢山生まれてほしいので、無償で公開します。団体にもグループにもなる必要がありません。

はい、今夜もオープンのトークセッション、行ってゆきたいと思います。

まずはご質問の方から、お読みいたします。

Q:MARTHさん。人間の身体が素粒子でできている。そこまでは理解できます。
そして、素粒子は一体だとか、素粒子が愛だとか、神の現れだとかMARTHさんはおっしゃっています。
そこのところが、よくわかりません。
詳しくお伝え願えないでしょうか。

まぁ、それに関してはどこまで言っていいのかどうか、インナーなセッションでないとお伝えできないところもありますが、簡単にお伝えしますと

まず、素粒子というのが何かということですね。
これは人間が名づけただけで、本当は細かいものです。そしてその細かいものは、古代からの伝承では創造主の想念ということになっています。

そして、創造主というのは、一者ということになっています。
日本の武士の方たちが一元に帰すというように辞世の句で伝えられているように、一体である、ひとつである、一元である、源であるというふうに、捉えていたんですね。古代の日本の方々は。古代のユダヤというんですかね。本物のイザヤさんたちのことですね。

これもあまり言いたくない話なんですが、あの当時の縄文の人口が30万人ほどだったと言われています。
古代ユダヤの中東から戻って来られた方たちの人数は何百万。300万とか400万とも言われていますから、その方たちが帰ってこられて創った国なんだと思うんですね。

そのとき愛をたずさえて、この和するということですね。
これは量子力学の人たちがπ一体、3.14ですね。円周率、円、和というふうに表現されるように電子が原子核の周りを回る輪ともとれますし、ここでまた分離の価値観、想念の影響を受けると、非常に乱れるとか、古代の人たちが穢れの場と呼んでいるところに行きますと電子が非常に乱れるということも含めてですね。

そういうことを学んでゆかないと。そういうことを検証したり、学んだり、つきつめたり。その科学を、量子力学的科学もつきつめてゆくとその想念でできている素粒子ということに行き着きます。

その想念というのは一者による想念ですから、一者による夢。
私たちが夢を見るときには私たちが見ているわけです。ですから、それが創造の主体。神と呼んでもいいし、愛と呼んでもいいのですが、真我と呼ぶ方もおられますが

その人の夢というと一者、一体です。ですから、その子どもたちである、部分である私たち人類や、ものや、物質もすべて想念でできている。その人の夢の中の現れであると捉えたらば

要は、あらゆる物質も想念でできている。そのとおり、素粒子でやっぱりできているんですね。

そして素粒子は分離を嫌う。要はπを失う。エントロピーが増大する。それはなんでなんだ。一体だからだ。愛だからだ。

だから、私の場合は…私なんて言葉あんまり使わないんですけど、僕の場合は一体のことを愛って呼ぶんですね。

だから、部分部分の自我の執着のことではありません。自我が存在しない。すべてが一体の世界。相対性がない。陰と陽ではない。光と闇ではない。
すべてが神の現れであるという、万物の現れであるというところから、そのような事を言っているんですね。

そして、素粒子が一体じゃないものを嫌う。分離を嫌う。それは実験したり、検証したり、人類の方々がこれからなさることですね。

そしてそういう実験をされた方たちから話を聞きました。

ですから、これからの量子力学の方々。また古代の伝承も含めてですね。また、そんなに昔ではないけどイザヤさんたちの時代。2800年ほど。正確には2680年。それぐらいの伝承。これも一体であり、未知で神秘である。

要はソクラテスと同じ時代。老子と同じ時代。こういうときの目覚め。日本に来られたのかどうか。そういう伝承もいっぱいありますが、そういう中では未知で神秘でこの世でない。現実でない。神の夢である。創造主の夢である。創造の、この宇宙は創造の夢が現れたもので、私たちはその子である。現れである。

だからある程度の範囲を創造、要は夢見るものというのかな。創造を、物質映画を任されているという捉え方。
これが非常に量子力学をつきつめてゆくと合っている。

そして、私たちがそれでできているために、一体でできているために、一体で生きないときにメッセージが来る。自らを目覚めさせようとする。

自らに大きなトラブルや問題、気づかせようとする。自らを罰そうとまでする。

また、いざとなったら、自らを滅ぼそうとまでする。
また、それが団体になり、グループになり、国となっても、同じようなことが起こる。
それだからこそ、立派なリーダーは和すること。一体をちゃんと民にも、仲間にも伝え、平和、愛や本質で生きるように。

ですから、やはり特攻隊に行かれた日本の昔の航空隊の方と、僕が免許を取るときの先生だったんですね。
その方にいつもいろんな話を聞きましたが

なにしろ、ある薬をやっていないと、怖くてやはり漏らしてしまったり、いろんなことが起きて、零戦が汚れてしまうというこがあるぐらい怖い。戦いというのは本当に怖いものだ。

それはある意味、人間に合わないんですね。もし合うならば、そういうドラッグがないと耐え難いような恐怖。そういう自我にとって合うことだったら、へっちゃらですよね。
でも薬を使わなかったらば、へっちゃらではないというぐらい怖いというのは、たぶん自分に合わない。

ケンカとか、暴力とか、人間に合わない。合わないこと。要は愛だから、一体だから、素粒子は嫌がる。他と見えるけど自だから。
他と見える自らだから。

だから、愛したい。支えたい。守りたい。愛しみたい。信頼したい。わかり合いたい。これ自然な素粒子の、愛の素粒子の動きですよね。

でもそうじゃないことを信じていたら、目覚めろ、目覚めろと、そういうメッセージが来るのではないか。それがバチと呼ばれるものであるということは、古代の伝承からわかっています。

我々のような精神世界というのでしょうか。そういうトレーナーを長くやってきました。実際、何十万人という方を見てきました。

そのとおり、人の本質は愛だということを確信しています。
そして、そこに至るには分離の価値観から出てゆかなければなりません。

戦いとか競争とか比較、自己拡大、要は自我の高揚、自我を強化するということは、幸せや愛や、成功や真の繁栄を阻害するということはわかっています。

そんなことで、皆さんにお伝えしているたわ言ですね。

ですから、人類がこれから、みなその一体性。要は科学者の方たちがもっともっと、素粒子レベルのそのへんの実験をしたり、それを解明されていただいて、またお医者様もですね。

そういうことの本質に気づかれて、どうしたら身体が良くなるのか。心が良くなるのか。しっかり研究していただいて。

そういう古代の価値観や、また、そういう量子力学の方たちの気づきを言えない社会ですね。今は。

要は分離社会ですからね。分離がいいことで、ケンカがいいことで、勝つことがいいことだとなってしまいますと、この愛とか一体とかということは、否定されてしまうわけですね。

でも人類はもう、今世界的なトラブル、問題が起こっていて、そして目覚めろという大変なメッセージの中にいる以上は、天がそれをとうとう実行に移しているという感じがします。

では天とは何かと言ったら、皆さんのことですね。素粒子だから、素粒子でできているすべての人。すべて、万物すべてがそちらに向かっている。一体に還ろうとしている。愛に戻ろうとしている。

そのような真に繁栄する、真に成功し、真に幸せな、至福な人生に戻そうとしているというふうにMARTHは捉えています。

それではまたお会いしましょう。
MARTHのたわ言でした。

追伸です。
一体性を持たないと、損ですねという短いメッセージを頂いた方がおられました。
はい、そのとおりです。ということを伝えたかったんですね。

周りの方や、または家族でもいいし、または様々なグループ、団体、いろんな方がいらっしゃいますね。
それで、他と戦わなきゃいけないとか、恨むとか憎しむとか、殺すとか、騙すとか、やっつけるとか、いじわるするとか、そういうことに関わってしまうと、やはり自ら、誰でも愛だし、神の子だから、つらいですよね。

それを、そう言っているお父さんやお母さんもつらいし、周りの人も、世界中の人がやっぱり苦しいと思うんですね。

ですから、みんな万物に還って、愛に還って、一体に還って、幸せに、至福に、そうすると還りますので、素粒子が嬉しがりますからね。
電子がとても、気持ちよくなりますからね。
そしたら、本当に運もよくなるし、繁栄もするし、真の成功、持続可能な幸せや成功が戻ってきます。

ただ、他を他と信じてですね。他を他と信じてやっつけちゃったり、滅ぼしちゃったり、恨んじゃったり、憎んじゃったり、いじわるしちゃったりしたら、神の子であるというか、愛の現れである。一体の現れである私たち人類や、宇宙の方も、すべての人が台無しになってしまいます。

苦しくなってしまいますから、幸せになって、美しく花咲いて、素晴らしい人生、喜びの人生、癒された人生をですね。
送っていただきたいなって。

本当に芯から幸せになっていただきたいなって。そのようにつくづく願い、祈ります。

MARTHの追伸たわ言でした。

MARTH

Post a Comment