私が存在しないという気づきは、すべての苦しみから人類を解放する
私が存在しないという気づきは、すべての苦しみから人類を解放する
はい、今夜もトークセッションの時間です。
毎回、バックはMARTHの音楽をかけていますが、今日は、今月録音する、新しくチェコで録音する、「愛しているから」のMIDIデモテープ、要は、機械で録った音ですね。
まぁ、仮のもので、本当にこんな感じっていうのをMARTHに伝えるための、Derekから届いたものをバックにかけながら、お届けしていきたいと思います。
今回、イントロ、間奏、コーダも全部自分でやりましたので、手抜きしていないという話をしましたけど、そんなんで、いいオーケストラの形になるんじゃないかなぁなんて、期待しております。
今日のご質問なんですが、ちょっと前に出したことについてのご質問みたいなんですね。
Q:シディ的、量子的、プラズマ的真実は同じものとMARTHさんはおっしゃられていますが、そのことに大変興味があります。
もっと詳しくお伝え願えないでしょうか。
というご質問です。
まぁ、シディ的っていうのは想念、この世界が想念であって、創造の主体の夢であって、私たちがその部分。
その、なんていうでしょう。
現れ、または、その分身というのでしょうかね。
で、ある範囲を許されているというふうにお伝えしましたが、その、いろいろとメディテーションを使って、実現してゆく。
要は想念を実現してゆくというような形ですね。
それとまた、量子的というのは、分子の世界というのは確固たる現実のように見えますね。
これ、素粒子レベルで見ると、全部つながってしまっていて、全部濃いか、薄いか、みたいな世界になってゆきますので、物質化されてない状態ですね。素粒子の世界。
で、これは素粒子を厳密にみてゆくと想念でできている。
創造の主体の、宗教的には創造主の想念でできている。
一者の夢である。想念である。
という量子力学的、量子的真実ですね。
それと、シディが現実でない世界ゆえに、物質化現象ができるという意味で、同じものである。
また、プラズマ的真実、これはプラズマの世界というのは、シディを科学的にというんですかね。技術的に行う方法であると言えるのではないでしょうか。
ですから、この3つは同じものである。
創造の主体の国。創造の主体、一者の夢の世界である。
現実ではなくて、神の、愛の、一体の表現であり、夢である。
で、その子どもである、その分身である、その私たちがそこから生きないときには、やはり、なんというのでしょうか。自らに目覚めさせようとか、気づかせようとか、ちょっとひどくなったら罰するというね、そういうことにまでつながってゆくのではないでしょうか。
この世界の科学的事実を、科学者の方たちも突き詰めていただきたいし、また、宗教の方々も、ニューエイジの方々も、一般の方々も、突き詰めていって、解明していただけるといいと思います。
この世界がなんでできているのか。
そしてこの世界が一体ゆえに、分離を信じると苦しみや、自らを気づかせようと自らの素粒子がする。
自らを構成する素粒子が、自らに気づかせようとする。
逆に言えば、だとしたらどうすればよいのかといえば、要は万物に合った、自然界に合ったというか、愛に合った、本質に合った、創造の主体。要は神聖さと共に生きる。
愛と共に生きる。一体で生きるということですね。
もっと具体的にそれをすると、私などいない、無我の世界。自我の終焉として生きる。分離の終焉ということは、私がいないということですね。
で、私がいますと、私が勝つとか、競争とか、ケンカとか戦いとか、悔しいとか、つらいとか、全部私がいて、起きるんですね。
逆に言うと、私というものが存在しないって気づいてしまうと、今言ったものが存在できなくなるんですね。
自己を拡大しよう。自己がないから拡大できない。自己がないから偉くなれない。自己がないから良くもならない。すごくもならない。勝つこともできない。自己がないわけです。無我なので。
で、悔しい、つらい、苦しい。すべてできないんですね。
だから私がいないという気づきは、真我に還る気づきでもあり、一体に還る、愛に還るという気づきなんですね。
で、自我世界。また分離社会というのは、要は自我が存在するという価値観の中で世界が回っています。
そうしますと、今言ったすべての問題がそこから発生してゆきます。
そこから、争いや戦い。すべての苦しみが生まれてくると言っても、過言ではないでしょう。
この分離社会が今のようになっているのは、ある意味必然です。
本当に人類が愛の世界、幸せな世界、平和な世界を本当に望むならば、私たちは科学的事実、この世界の真実を学び、また目覚めなくてはなりません。
そして、そのような美しい世界に還ってゆかなければなりません。
万物の子として、創造の主体の子として、またその現れとして、愛の分身として、世界を美しく、素晴らしくしてゆくことこそが、私たちの本当の役目であることでしょう。
それでは、またお会いしましょう。
MARTHのたわごとでした。おやすみなさい。
MARTH
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