#57 あらゆる人が万物(創造の主体)の分身であることに気づき、真の繁栄を遂げることが何よりも大切です

#57 あらゆる人が万物(創造の主体)の分身であることに気づき、真の繁栄を遂げることが何よりも大切です

はい、今日もたわごとトークセッションの時間がやってまいりました。

今日は、バックは「愛しているから」の新しいアレンジ。
今回プラハで録るやつです!それのデモ。まぁ、MIDIです。

MIDI。要は、機械で音を出しているということです。

今日のご質問なんですが、
Q:MARTHさん。世界は悪い人がいっぱいいて、支配したり、奪ったり、殺したり、もう悲しみで世界は大変です。

この世界のこの現状。MARTHさんはどのように捉えてらっしゃるのか、お聞きしたいです。

という、なにか…なんというのかな。そういう、切羽詰まっているというのかな、そういうお気持ちでいらっしゃることを感じますね。

MARTH的な言い方になっちゃってあれなのですが、悪い人とか、いい人とか、うちの父親も、そういう重犯罪者の方を毎日取り調べていたわけですから、極度の破壊的、人を殺すとか、粛清するとか、減らすとか、やっつけるとか、奪うとか、盗むとか、騙すとか、支配するとか、そういう人たちを取り調べていたわけですね。

で、そういう世界になっていて、そういう偉い人たちまでがそういうふうになっている。支配をする人たちまでなっているということで、悩まれてらっしゃると思うのです。

ただ、大事なことは、その根底にあることが分離だということなんですね。

結局、あらゆる人が劣化してしまう。神の子として、愛の、愛の化身として、神の分身として生まれていない人は絶対的にいないです。

これは宇宙人だろうがなんだろうが、みな愛の化身。
創造の主体の夢の素材である素粒子でできてないものはまずないですね。

星でもなんでもみな素粒子でできている。ということは、想念でできている。神の想念でできている、ひとりの夢である。ということがベースとしてある以上、あらゆる人が、悪魔などいないし、悪い人も、本当に真から悪い人もいない。本質はみな神の現れでできているのに、ではなぜそうなったのか。それは、僕は分離の観念だと思います。

この社会が分離の観念。要は自我世界である。要は戦い、競争、比較、ケンカ。それがあって当然というか、普通になった社会だからだと思います。

一体の社会。この世界が一者の夢で、愛でできている。
あらゆる人が愛の現れだということを子どもたちが、世界中の子どもたちが学んでいないからだと思います。このような世界になるのは。

そして、もしそのように生きなければ、自らを罰し、自らを裁き、自らをとんでもないことにしてしまう。

一時的に豊かになっても、一時的に勝ったように見えても、必ず滅びる。アッティラ大王、アレキサンダー大王は20、30歳ぐらいで皆さん、亡くなられています。

要は、それぐらい早く返りが来る。トラブル。家族の負は、ありとあらゆる問題が生じてきます。

だから分離、エゴの強いというか、自己拡大、自我拡大の強い人で本当に真の繁栄をしたり、幸せになった人は本当にいないと思うんですね。

だから、本当に、人類は、誰が悪い、誰がいいというよりも、みんなが一体性を学ぶときに来ていると思います。

みんなが愛の化身であり、愛の現れである。そう生きなければ、万物の、天の一部として、万物の細胞が、その人の細胞のように。
大きな船があったら、その部品ではなくて、その大きな船であるということに気づく。万物の一部であること。万物の仲間であること。一体であるということを学んで生きなければ、自らを罰し、自らを気づかせようとし、自らを滅ぼすこともある。

そうならないように繁栄して、幸せになって、輝くためには他に尽くす。他と見えるものは他じゃないので、他を尊ぶ。民を尊ぶ。
天を尊び、すべての人を愛し、隣国を愛し、隣人を愛する。それしかないと思います。

そういう世界にしない限り、もうずっとそれは続きます。

じゃない限り、軍事を拡大しなきゃならないでしょう。
互いに、どっちが勝つか、どっちが強いか、どっちが支配するか、どっちが偉いかをずーっと言わなきゃ人類はならなくなります。

もう疲れ果てきります。
そして自ら滅ぼしてゆきます。
自らにバチを当てようとします。

愛で生きないから、万物の子として、万物の公務員として、愛の純粋な真の正義のために生きないから。

創造の主体、また真我、大我、なんと呼んでもいいけど、その美しいものの一部として生きないから、当然自らを許さない。

だって、その人はそれほど美しくて、それほど素晴らしい本当は存在なのに、分離して、それを習って、戦いと闘争に明け暮れているわけですから、それは気づかせようとするし、きっと苦しいだろうし、家族や仲間やいろんなことと本当にうまくゆかないし、そういう問題の人が集まってくるし、またそういう電気体になった人たちも集まってくる。

自分のエゴ化、分離化した価値観で良いことはひとつもない。
まぁ、ろくなことがないというのでしょうかね。
そんなことをしてもしょうがないですよね。

やっぱり愛で生きて、一体で生きて、万物の子として、存在の子として、また、真我の子として、美しく正義を持って、他を愛し、傷つけられても傷つけることなく、あらゆる人のために、他と見えるあらゆる自分のために、万物全体のために尽くして、身体全体のために尽くす細胞さんのように生きれば、必ず繁栄し、必ず成功し、素晴らしい意識の子どもが生まれ、子孫が生まれ、そこから世界を本当に救えるような子どもたちが沢山生まれてゆくと思うんですね。

それに今こそ気づいて、皆が幸せになる。
皆が成功する。真に持続可能な繁栄を遂げることが、そして愛に還ることが、本質に還ることが、僕は大切だ。何よりも大切だと、つくづく想います。

それでは、またお会いしましょう。MARTHのたわごとでした。おやすみなさい。

MARTH

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