#61 もし、すべてが一体の世界だと人類みなが知っていたら、分離からくる戦いは必要なのか? (オープンセッション)

#61 もし、すべてが一体の世界だと人類みなが知っていたら、分離からくる戦いは必要なのか? (オープンセッション)

はい、今夜もたわごとのお時間がやってまいりました。
早速…あ!トークセッションですね。

早速、お便りの方をお読みしたいと思います。

Q:MARTHさん、自分の周りには、戦争がいる。抑止力がいる。勝たないと。強くないとバカにされる。ナメられる。という仲間がいるのです。
世界が今、混乱の中で戦争に向かっているのかと思うととても心配です。MARTHさんはどう思われますか?

まずですね。その赤組、白組みたいな形の争いですね。
そういうのは分離社会の特徴ですよね。
この世界が今まで戦いだったからですよね。

分離、自我の世界。
他の民族とか、他のなんとかとか、みんなが一体だって思っていなかったから、そうなのですね。

そういうのは、「在り方」って言います。
ですから、在り方が、一体の在り方がない世界の中では、抑止力がいるとか、戦いがいる。強さがいるというのは、多分そうなんでしょう。

ですから、そういう方たちには、あなたが真っ先に戦争に行ってくださいね、と。
そうしたら、私たちは理解します。というのでいいと思います。

その人がね、みんなを戦わせようとしているだけかもしれないから、先に最前線に、立ってくださいと。

で、それは分離の世界、戦いの世界だから必要だったもの。
争いとか、ケンカとか、強さとかいうのは、分離の社会に必要だったものですね。

でもその分離の社会の中でも、家を持たないというかテント暮らしだった人たちは、古代の人たちもそうですよね。
沢山、家を持たないでテント暮らしの人はいっぱいいました。

争わないで、人を滅ぼすぐらいなら、すべて与えて去っていくという、新しい場所を行くという人たち、民もいました。

だから、分離社会の中でも、愛は大事です。
争いや戦いをこえることはとても大事です。

しかし、在り方自体が一体を学び、世界中の人がひとつである、一体であるということを学んだ時代は、そのような競争や比較、または勝つとか、負けるなんていうものは、また戦いや戦争は消えてしまいます。

ですから、あなたのおっしゃられることはよくわかりますと。
それがいりますね。抑止力がいるという気持ちもよくわかります。

でも、私が話しているのは、一体の世界。もし、すべての人類が一体であるということを知っている、科学的に一体だということを知っている世界。みんながわかっている。子どもたちがみんなそのような教育を世界中が受けている。
素粒子はすべて一体で、森羅万象の、また創造の主体の想念でできている。すべては一体なんだ。物質映画のような想念の、一体の世界なんだと。みながわかっている世界では、それは本当にいるのでしょうか。

軍備はいるのでしょうか。戦いがいるのでしょうか。ということを言っているだけで、分離の社会。戦い、争いを信じた社会では、それが必要になるのは悲しいことですが、多分そうなのでしょう。

という、今日は、MARTHのたわごとでした。
それではまた、お会いしましょう。
もうちょっと深いことを、インナーの方でお話しします!
それでは、おやすみなさい。

MARTH

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