#64 人類の集合意識と深き深層心理、信念体系による想念の世界、半霊半物質の世界とは?

#64 人類の集合意識と深き深層心理、信念体系による想念の世界、半霊半物質の世界とは?

はい、MARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。
トークセッションのお時間です。
まずご質問の方をお読みしたいと思います。

Q:MARTHさん。アニメを作られるというふうに聞きました。
YouTubeを見せていただきました。そのことでちょっと質問です。

あのアニメの中で、一万年ほど前の半霊半物質というような時代が出てきます。そのような、半霊半物質のときには、死というものはどのようになってゆくのかなぁと感じましたが、それとプラズマとの関係が、今一歩理解できておりません。

ぜひ、ご説明をお願いいたします。

というご質問です。

まぁ、これはたわごとと聞いていただいてほしいのですが、自分が若き日に知ったことですね。量子力学の方々と付き合っていましたので、まぁ日本の最先端の方たちだったんですね。

簡単に言えばですね。またあと、そういうヨガ的な、シディ的なものにもとことん触れましたので、まぁ、自分の見解というのはちょっと一般の方たちとはかなり違うと思います。

あとやはり自分がやはりそのような検察の一人息子として生まれて、固い家で、まぁ疑い深い家で、まぁ何も信じないというのでしょうか。

そういう厳しき目を持った上で体験しましたので、そのような意味でお話しするとすればですね。

まずはこの世界は神の夢、現実でないということは基本にあるんですね。それが古代には、間違いなく、これは明らかだったと思います。

特に日本というか、日本ではそれをムーと呼んでいます。
縄文のもっと前ですね。完全に量子力学の世界。
プラズマの世界。半霊半物質の世界だったと私は思っています。

それはマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー本人からも聞いたことがありますし、要は8000年前のヴェーダのことも含めてですね。

まぁ、世界は半霊半物質だった。要は半霊半物質というのは、たぶん聖書で言う、エデンを出てしまった。言葉というもの、名称づけがあって、これ、名称付けってこれシディ的に言いますと、これってスートラなんですね。
意味ある言葉。それからマントラ。意味のない言葉。真言ですね。
意味がない。

まぁ意味がないもので、非常に深いメディテーション。まぁ変性意識の中のもっと深い統一意識に還ってゆくために、五感をこう排除しながら…。

だから五感とかですね。
あと言葉という分離ですね。
あと意味づけ。こういったものによって、物質化現象が強くなる。だからまぁ、素粒子的な世界から、分子的な世界が強まる。

ですから、プラズマの中では現実に戻ってしまう。
また死に直面したときには、人は現実に戻る。
現実というのは未知、神秘、ソクラテスの言うような、現実でない世界に戻ってしまう。
こっちが、現実でないほうが、真の現実。

で、そのプラズマ的なものによって、まぁ3000度とか、雷7個分の電気とか、いろんな超電導とか、いろんなものによって、プラズマの世界に入った場合、壁抜け、空中浮遊、テレポーテーション、また未来を見てしまう。要はなんてそういうのを言うのでしょうか。
テレパシーとか、タイムトラベルとか。それは現実でない世界なために、それが科学的に可能になるというふうに捉えるべきでしょう。

これはたわごとですから。
ただまぁ、世界の科学者の方の勉強のために、お話し今もしているのですが、これから人類はそこを解明してゆかなければならないと思います。

現実でないということですね。
神の夢、想念でできているということはもう量子力学で明るみになっていますから、その想念、誰の想念なのかと。そして、神の子と言うか分身である人類がどの範囲まで、要は引き寄せとか今のニューエイジの方が呼ぶような、要は思考が現実にできるのか。ということも調べる必要があります。

どの範囲、何メートルまで自分の範囲なのか。その想念の及ぶ範囲。
まぁ、そういうこの世界が現実でないということを科学的に、見つけてゆく時代に入ったと思います。

で、半霊半物質ということは半分霊的な世界。素粒子的な世界ですね。

プラズマ的世界が言葉によって、また知識によって、分離感を持った。
それによって、まぁ非常に分子レベル。要は現実性と言うか、物質化現象が激しくなったというふうに自分は捉えています。

ですから、一万年ほど前に、そのようなことが起こり始めると、8000年ぐらいの段階ではまだ、シディが相当効き目があった。ということは人間の集合意識が未知だ、神秘だ、というのが当たり前で、現実でない場所に出てきているという価値観が強かったんだろうと、私は見ています。

ですから、いろんなシディが可能だった。しかし、今の社会まで来ますと、非常に分子レベルが強くて、現実という価値観が強いですから、やはり、なんというのでしょうかね。まぁ、人は分離を、一体の未知の世界が科学的事実であっても、今は一体とは思わない。
要は分子レベルではつながっているように見えませんので。また五感もあるし、名称づけ、また意味づけまでありますから、非常に分かたれた感覚の中で人類は苦しんできた。

戦争や戦い。比較や競争、そういったもの。恐れにさいなまれた自我の世界ですね。

しかし、本来は、創造主の夢のような素材でできている世界。

だから一体で、かつ神秘ですね。
夢ですから、宇宙のはてのはて、どこまでも永遠に行くわけです。
夢の中でも宇宙のはて、どこまでも行くみたいに、夢のような世界ですから、物質映画のような。

ですから、その霊的というか、素粒子的世界で死があるのかと言ったら、それは当然ないです。

ですから、死のない世界というのは聖書的にも非常に書かれていますね。イエスも、イザヤ書も、それは僕もあまり聖書というのを読んだことがなかったので、最近ちょっとイザヤさんのを少しだけ見たらやっぱりシディが分かっている。要は半霊半物質が分かっている。
要はシュメールの人々は多分ムーにつながっているんだなぁというふうに自分は捉えています。

要は、未知で神秘で一体で、この世でないということを分かっていた民族だなというふうに捉えます。

それがだんだん分離、自我世界となり、分離し、互いに一体でないと思いこむようになり、戦い、殺し合うという世界がこの一万年弱、続いてきたのではないかな。

その千年王国とか、そういう愛の世界が来るとすれば、一体性と、未知で神秘であるという世界に、もう一回目覚めないといけないと思います。

で、人間が永遠の命に還れるのは素粒子の世界。プラズマの世界。シディの世界。半霊半物質の世界。いや、霊的世界ですね。
素粒子的世界って言ったほうがいいかな。

そういうことは現実にあると私は思っています。

たわごととして聞いていただきたいですが、私はこの世界は愛でできている。一体でできている。想念。神の想念でできている。想いでできていると、捉えています。

はい、たわごとでした。
ということで、このへんはものすごい、どこまで言っていいのか分かりませんので、今日はこのへんで終わらしたいと思います。

それでは、また、お会いしましょう。
お相手は、たわごとMARTHでした。
おやすみなさい。

MARTH

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