#86 「孤立した自我の分離性から、一体性へ回帰することこそが幸せの意味です…」(オープンセッションのみ)
#86 「孤立した自我の分離性から、一体性へ回帰することこそが幸せの意味です…」(オープンセッションのみ)
はい、今夜もMARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。
まずはオープンのセッションから…
今日のご質問です。
Q:世界は混乱の中。光と闇の戦いになっています。
MARTHさんはどうお考えでしょうか?
というご質問です。
世界の混乱があるということをおっしゃられています。
それに対しては、目覚めと眠りの中のことと捉えた方が、光と闇というように二極的に捉えるよりも、良いのではないかなと感じます。
要は、どっちかということよりも、一体性の気づきの浅さと深さという観点から世界を見た方がいいのではないかなと。
本来、この世界は一体の素粒子の想念の世界であるということをまず基本に考えるというか、その基本からものを見ると、世界がどうなっているかわかりやすいと思うのです。
その、闇になってしまったという方たちのことも、その「光」というように呼んでいるのは僕はちょっとよくわかりませんが、悟った人ということしかありえない。何に悟ったかというと、一体性の世界に悟って、要は無我である。無私である。一元に帰している。一体である。真我である。愛であるということになると思うのです。光というのがもしあるとすればです。
それと、そこに至るまでの、まだ目覚めに至っていない、気づけていないというので、だんだんそれが深まると、闇化が深まるというように捉えるのがすごく精神性的にも、宗教性的にも、いいのではないかなと思います。
要は、気づきの浅さと深さという観点からこの世界を見ないと、何が原因で闇となってしまうのかということも見えません。
ということは、解決策が見えません。
ただ、争いがそこに続くだけです。
闇は消すことができます。それは、一体である。科学的一体性に全人類が気づけば、闇は消えます。
自分は、犯罪者の方たちの回帰の仕事を父親がしているときの精子です。ですから、うちの父は中央の法学部で法哲学とか犯罪心理学とか、そういうことの研究をして、法務省で法務総合研究所の研究員でした。
そのあと、東京地検に行きましたが、基本的に彼は、そういうことを毎日家で勉強したり、研究していましたから、僕はその子どもなので、そういう啓発性ということの力。要は勝ち負けを習わなければ、分離を習わなければ、極論、暴走族の方たちも、不良少年という方たちも、光となります。
逆に、分離を教えれば、どんな人も分離になればなるほど、闇となります。
だから、恐怖、自我です。分離というのは自我なので…。
で、この聖書に書かれている…僕もあまり詳しいわけではありませんが、はじめに言葉がある。要ははじめに名称づけがあるということです。
名称づけは分離なのです。一体のものの部分に名前をつけるという意味でです。ですから、はじめに言葉がある。それでできた名称づけの束が思考です。で、知識です。
知識というのは、分解すると名称づけでできているのです。
名称づけというのは、未知なる一体のものに名前をつけて分ける、分かる、分ける、分かるようにする。分けるようにするという意味なのです。
ですから、そもそも思考を使うということは、分離してゆく。分離、言葉が分かれますと、名称づけの確信が深まると、それだけ物質化現象が激しくなります。分子化が激しくなるということです。
逆に、思考が減ってゆく、言葉が減ってゆくことで、名称づけが減ることで、一体に還ってゆきます。
未知や神秘。半霊半物質とよく言いますが、霊的になってゆきます。
物質が弱まる。ですから、見ていないとか、意識していないとか、考えないとか、そのときには月はないと、量子力学の昔の、ボーム博士たちが言っていたことは、そういうことです。
要は、意識が向かう。確信を持つ。名称づける。意味づけることによって、物質化が激しくなり、半霊半物質から、物質世界が強まると…。
それに関しては、アニメの中で表現しましたが、要は、分離ということは、自我になるということなのです。
自己拡大、自己高揚、自己が勝つとか、偉くなるとか、守るとかということは逆効果で、一体性から出てしまうということなのです。
一体性の支援を受けられなくなって、孤立するということなのです。
孤立、独立、いや、独立というといいイメージがありますので、要は孤立です。
要は、闇というのは、孤立してしまった自我という捉え方ができるわけです。
ですから、言葉を失って、愛に還って、真我に還って、思考もやんで、自我が薄まって。
自我が薄まるというのは、自我というのは妄想なので、一体の世界なので、愛の世界なので、無我な世界なのです。この世界は。
要は、一体に還る。一元に帰す。一元、一者、一者の夢に還る。
自分がいなくなるというのが、真実なのです。
そのとき、守られる。真の成功、繁栄があると。
アブラハムに神が言ったというのは、そういう意味で、そのことを伝えてゆくならば、本当は、その一体性を伝えてゆくならば、お前の子孫からメシアが出る。預言者というか、神に仕えられる美しい者が生まれる。そこから、素晴らしい教師が生まれる。繁栄する。真に成功する。一体性。すべてが一体で、未知で神秘の中である。色即是空です。
色即是空というのは、空海、空海は景教で、元はイエスなのです。
だから、仏教、イエスは仏教の、一時期導師だったのです。
そんなことはどうでもよいですが、たわごとですから…。
この世界が、分離していない、一体の一者の夢の世界であるという基本からずれてゆく。自我化してゆく。で、自我が勝った!やった!偉くなるんだ!すごくなるんだ!勝ったんだ!うわぁ!みたいな、そのようなエネルギーというのは、自己が、自己中心、自己高揚、自己主張、全部自己を増やすのです。
そういうことで自分を守れると思っているわけです。
人類は長い間。
自己が勝つんだ!偉くなるんだ!すごくなるんだ!とやればやるほど、苦しむのです。うまくいかなくなる。
なぜ?と言ったら、孤立するからです。宇宙から出てしまうから。一体から、愛から、本質から出てしまうからです。
そうすると、脳内物質は出なくなる。安らぎがなくなる。副交感神経が出なくなる。もう、そうすると、すごいストレス。
それで苦しいから、いろんなドラッグに走らなくてはならない。酒だ、タバコだ、が必要になります。
結局、ストレス。分離のストレスです。分離ということは、万物から出る。要は、木とか、草花で言えば、土から引っこ抜かれた状態で、俺は勝ったんだ!偉くなるんだ!良くなるぞ!俺はすごいんだ!そうやって自我を拡大して、思い込ませて、平気だ!平気だ!とか、そのようになってゆくというのは、実は宇宙からの支援がない。愛からの支援がない。万物全体の素粒子の支援がない。
例えば、脳波でも、自我が薄まれば薄まるほど、脳全体が動いて、3%しか機能していないというのが、宇宙全体とつながって量子コンピューターに脳がなるのです。
量子でつながるのです。
ところが、自我化するとシャットアウトされます。それで、脳内物質も出ない。イヤシロが回らない。電子がきれいに回らなくなります。
かつ、電子がきれいに回るものを食べない。電子がきれいに回っているものに抱かれた状態で寝るとか、着るとか、そのような、電子がきれいに回るものによって、備えたいのです。
自分の考えも、孤立した、独立した自我。分離した自我じゃなくて、安らぎの中に。一体の中に還ることによって、その方がうまくいくのです。その方が守られます。
ケンカとか戦いは、それが光であろうが、闇であろうが、ケンカとか戦いということ自体が分離であるなら、電子はきれいにまわらなくなりますし、脳内物質は出なくなりますし、副交感神経は出なくなります。
イヤシロから、ケガレになります。
そのような場所は、電子がきれいに回らない場所はケガレチというようになるわけです。
ですから、大事なのは、宗教でも、精神世界でも、なんでも、そのようなものはあってよいのですが、ひとつ足さなくてはならないです。
一体性。
あらゆる宗教のグループがありますが、あらゆる精神世界のグループの方たちがいます。
その方たちにひとつ足していただきたいのは、一体性です。
一体性から出て、自我を強化して勝つとかよくなるとか、偉くなる、すごくなる。
このような価値観。自我が突起するという価値観は逆効果である。
要は、一体に戻る、愛に戻る。本質に戻る。正義、宇宙。素晴らしい愛しさや自然界や、万物や、そこへ戻る。
すべての動物たち。植物たち。細菌さんたち。大地さんたち。
みなさんと一体に戻る。
すべてと一体に還るということが大事です。
そうしたら、自然と宇宙から守られ、天から守られ、永遠の命も失うことなく。
あまりにも自我化すると、そこからあらゆる行為をすると、あらゆる問題が起き、苦しみが起き、最後は永遠性の素粒子まで失います。
という、今日はたわごとでありましたが、ということでまた、お会いしましょう。
お相手はMARTHでした。
MARTH
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