#93 幸せになるには、愛し愛される以外にないのではないでしょうか…
#93 幸せになるには、愛し愛される以外にないのではないでしょうか…
はい、今夜もたわごとのお時間がやってまいりました。
今日は、伊勢のイザヤさんのところに行ってきました。
そこで、彼の言いたいことと言うのでしょうか、彼の想い。
今電気体となっている、あの建国の父の想いですか、それを感じてきました。
で、ご質問の方がちょうどそのことがあったので、お読みします。
Q:MARTHさん。人類が、また人が本当に幸せになるには、どうしたらよいのでしょう。
という、ご質問に答えます。
僕が、また建国の父が、誰が、神が、とか、真我とか、いろんな呼び方はあります。
人が幸せに生きるには、愛し愛されることです。
地位や名誉があっても、人を支配しても、勝っても、偉くなっても、すごくなっても、愛し愛されることがなかったら、人は幸せになれるのでしょうか。
まずは、愛し愛されることがあって、万物として、愛の子どもたちとして、神の子どもたちとして、愛しさ。愛し愛されることが、娘と、息子と、兄と、母と、世界の人々と愛し愛されることがなくて、人類に…いや、人類が幸せになることはあるのでしょうか。
人に勝ったり、偉くなったりして、幸せになるのでしょうか。
すごくなったり、自己拡大して、自我を強調して、分離して、戦って、上に立ったり、支配したり、えばったり、そこに幸せは本当にあるのでしょうか。
この一体の世界、神の世界の中で、愛の現れの中で、悲しいだけではないでしょうか。
世界は悲しいです。
人を支配したり、人を殺したり、やっつけたり、奪ったり、奪われたり、騙したり、やっつけたり…。
それで幸せになるのでしょうか。地位や名誉、偉くなったり、すごくなったり、それで幸せになるのでしょうか。
幸せとは、愛し愛されることです。
愛し愛されることがあるなら、それにプラスして何があってもいいでしょう。愛し愛される。世界中の人と、世界中の民たちと、尊敬しあい、お互いに助け合い、愛しみ合うことが基本としてなかったら、この一体の世界の中での幸せはあるのでしょうか。
そして、人類が、人が本当に幸せになるにはどうしたらよいのかというご質問ですが、あらゆる人々と、または家族と、世界中の人と愛し愛されるとき、人は神の子ゆえに、幸せになるのではないでしょうか。
それにプラス、万民のために、世界中の人のために、民のために、みなを幸せにしてゆく。そのときに、真の繁栄や、真の喜びや、真の成功があると思えてなりません。
それでは、今日ももうだいぶ遅いので、たわごとは、ここまでにいたします。
それでは、おやすみなさい。
お相手は、たわごとのMARTHでした。
MARTH
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