#101 人は誰もが本当は、みなで力を合わせて創造の存在の子として生きることが、幸せです(オープンセッション)

#101 人は誰もが本当は、みなで力を合わせて創造の存在の子として生きることが、幸せです(オープンセッション)

はい、今夜もMARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。
今日は音楽は、MARTHの30年ほど前の音楽を使っています!

早速、ご質問というかお便りというか、メールというのでしょうか、お読みしてゆきたいと思います。

Q:私は教師をしております。最近の子どもたちの悲しみについて、お話ししたいです。子どもたちは、自分は何をしたらよいのか、どう生きたらよいのか、迷っています。
まったくわからず、道を失ってしまっています。

何のために生まれ、何のために生きるのかわからないと言い、命を絶つ子が、あとを絶ちません。
そんな世の中になってしまっています。
MARTHさん、それについてお教えいただけないでしょうか。

僕が教えられるようなことかは別として…。
そうですね。このご質問を聞いて、すごく感じるのは、要は神の子、神って呼んで誤解されることは避けたいですが、天とか、万物とか森羅万象、真我、何でも良いのです。この素粒子の海、この森羅万象の海です。この電子の海。フォトンの海。

それでできている、その一部である、神の子の子どもたち。世界中の大人もみんな神の子。悪魔なんかいないし、それは自我化しただけで、分離しただけで、みんな愛の一部だと、僕は思います。

そして、みんなが役目があって、みんなが特徴があって、神の子として天から授かって、天の子として、天から才能を授かって、みんな素晴らしい力を備えて出てきて、みんなが力を合わせて神の望む世界、愛の望む世界、森羅万象が望む、素粒子の世界。エーテルの世界。フォトンの世界。そんな美しい世界をみんなが力を合わせて、それぞれが特徴を持ち、技術力を持ち、才能を持ち、才覚を持ち、みんなで力を合わせて、神の世界を創るために生まれてくるのだと僕は思います。

そしてそれが、自我世界、分離世界になってしまうと、自分の好きなことをやっていいんだ、自我の好きなことをやっていいんだ、部分の、分離の自分がそうやっていいんだ、いいんだ、っていう風になってきたのが、この世界の闇だと僕は思います。

天が、万物が、大切に生んだ万物の一部。例えば私たちの細胞が、私たちの身体を動かすために機能してくれているのが、いや、自分らのためにだけ生きたいんだ。この全体のこの身体のことなんてやりたくないよと言ったら、どうでしょう。

自分の好きなことをやりたいんだ。心臓の細胞として生まれたけど、心臓なんかのことやりたくないんだ。
腎臓のことなんてやりたくないんだ。お前のことなんてやりたくないんだ。あっかんべーってしたらどうでしょうか。

皆さんの身体の中の細胞さんがそうやったら嫌ですよね。

それと同じだと思うのです。天から見たら、神々から、神から見たら、万物から、森羅万象から、いや、愛、いや、創造主、創造の主体から見たら、自分のすべて一部です。

あらゆるものが自分なんですね。

それが、自我を持って独立して、お前の手伝いなんかしないよってなったら悲しくないですか。

そうしたら、その人たちも何をしたらよいかわからない。どう生きたら良いかわからないというのは、普通のことになってしまいます。

何のために生まれて来たかも、当然、何のためかと言えば、天が、神が、万物が、美しい愛の世界を創るために生んだわけです。

その才能。その能力。その大きさ。
すべてがそれを担うために生んでいるわけです。
そうじゃない人はいません。

なのに、自我化して、分離化して、そうじゃなくなっているから苦しいし、つらいし、もう、自分なんていらないんじゃないかって思ってしまうのだと思います。

だから、誰もが自我の防衛の城を崩れるに任せて、天の子として、万物の子として、リスクこそ愛で。

それが本当の非凡。自我から見たら非凡。愛から見たら、それこそが役目。平凡。いや、それこそが本当の役目。本当の生でなくてはいけないのではないでしょうか。

だから、私たちは、自我から見たらリスクに見えるような、安全圏から出て、アクトから出て、輝くことが必要だと感じてなりません。

もし、自我の防衛から、アクトから、自我を守るために本来存在しない部分を守るために、恐れでそこから物を言わないとか、安全圏から出ないとか、そのようなことをしてしまったら、それが自我の平凡だったら、輝くことは難しいでしょう。

輝くには、幸せになるには、愛で素晴らしく生きるには、その自我の平凡から出て、トランスフォームし、シフトし、目覚め、そこから輝いて生きる。

それが大切だと思います。

それは非凡な生き方であるし、自我から見たら普通じゃないかもしれません。

でもそれを突破して…輝いて、自我の安全を壊れるに任せて、自我の安全で作った城を、架空の城、自我という架空の、偽りの自己をこえて、壊れるに任せて、真我として、愛として、一歩踏み出して。

自分の得意な、天から与えられた素晴らしい才能を生かして生きたら、自殺だとか、自分がなんで生きなきゃいけないんだとか、何のためなんだとか、わからない、とか、そんなことは子どもたちからなくなります。

子どもたちはみんな、神様の子です。天の子ども。そうじゃない子どもなんか一人もいないのです。
みんな才能があるのです。それをこの地上に下ろすためにみんなが出てきて、みんなが力を合わせて、愛の世界、美しい世界。

共に生きれる、愛し愛される世界を創るために、生まれたのだと私は思います。
そこから生きたときに。自分がどう生きたら良いか、何をしたら良いか、自然とわかりますし、そのためにその家に出て、仲間たちがいるわけです。

共にそう生きてゆく、もし自分の娘が、自分の息子が、自分の好きなことをしたいんだ。おまえたちと一緒に生まれたのは偶然なんだ。俺は俺なんだ!一緒に愛の世界。この地球を良くするなんて興味ないよ!って言ったら寂しいですね。

みんなで力を合わせて神の子同士が、親とか子というふうになっていても、神の子同士が力を合わせて、万物の、天の、天の子同士がみんなで力を合わせて、美しい世界を創ってゆくのは、自然なことだと、何よりも自然なことだと僕は思います。

そうしたら、何のために生まれたかなんて悩むことはないし、ましてや命を絶つなんて必要はまったくありません。

みんなで力を合わせたら幸せになるし、真に運がよくなるのは、そのような世界でできているから、この世界が愛でできているから、素粒子の海だから…。

恐れから人を騙したり、やっつけたり、殺したり、支配したりする必要はないのです。

みんなが愛し、愛されて生きれる世界を創る。そのことをしたら、幸せになるようになっているし、天が面倒を見る、神々が面倒を見て、幸せになれるようにできていると思うのです。

そのような世界。そうしたら、生きる喜びが本当に出てくるし、自我で勝ったって、偉くなったって、すごくなったって、どんどん苦しくなって、天に合わない、神に合わない、万物に合わない、真我に合わなくなって、真我から独立して苦しくなって、分離してしまって、つらくなって…そう、できているのです。

そして、故郷に帰るように、愛へ還るように、大地へ還るように、ここ40年、大地、ありのまま、様々な言葉を残してきました。

癒しの世界をまっすぐ創ってきました。いつまで生きれるかわかりません。でも、大事なことは、みんなが神の子で、神に選ばれて出てきて、天から選ばれて出てきて、輝いて生きれるように、幸せに生きれるようになっているのに、あえて、分離して、独立して、その天から、フォトンから出て、その科学的幸せから出て、自我の争いの中に入ってゆく必要はないと…。

ありのままの自分を愛して、幸せに暮らして、本当にいいんだって、つくづく思います。

その時、誰もが幸せになって、愛で生きて、美しいのだと思います。

それでは、今夜はこれぐらいにします。
MARTHのたわごとでした。
このあと、インナーを少しだけお伝えして、今日はお休みです!

それでは、さようなら。

 

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FAR AWAY LAND
We may have built a misdirected civilization in exchange for everything given from the nature and for all the necessities blessed by Mother Earth.
We can still create an affluent and beautiful future,
getting back Nature’s blessings, without any destruction…..
MARTH

遥かなる大地
誰もがすべてをもって生まれてくる
本当は すべてが備わっている大自然のめぐみは
あらゆる生命に必要なものを 与えている
私たちは それと引き換えに
間違った文明をつくってしまってきたのではないか⋯
その美しきめぐみを とり戻しつつ 破壊することなく
より それを素晴らしくしつつ
豊かで美しい文明を 私たちは創ることができる

MARTH

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