#105 分離(分子)の視座から一体(素粒子)の視座へ(オープンセッション)

#105 分離(分子)の視座から一体(素粒子)の視座へ(オープンセッション)

はい、今夜もMARTHのたわごとのお時間がやってまいりました。
トークセッションの時間です。

早速、メッセージ、ご質問をお読みしたいと思います。

Q:MARTHさんが若き日、心のトレーナーであった頃、お創りになられた本質回帰、分離の終焉プログラムが再度発売されることを聞きました。
それについて、詳しく教えていただきたいのですが…。

というご質問…まぁ、それをどこでお知りになったかはわかりませんが、いろんな先生方が、SNS上でお伝えくださっているからかもしれませんが

たしかに、30年近く、25年ぐらい前に、愛するパートナーが物語を書いて…。

保母さんだったのですが、うさぎとかめが共に勝ったり、本当はみんなひつじの、愛のひつじの国なのに、オオカミの着ぐるみを着て、競争やケンカや戦いをしているというような物語があったのです。

それを、再度僕なりにメッセージを沢山入れて、創ったものを…
この今流れている音楽も、そのプログラムの中の音楽。これを歌っているのです。昔の自分がですね…。

で、物事には一体の視座、要はずっとお伝えしてきました素粒子の視座というものがあります。

要は創造主体の、また、神と言ってもいいのですが、その想念や意識。要は一者の夢のような視座です。

精神世界的視座です。宗教性と言ってもいいです。

自我ではない。ノーマインド。自我の終焉の視座です。

それに反した形で、“分かたれの視座”というのがあります。
これは、分離、分離というのは、分子というのは“分ける”と書きます。
分子の視座ですね。私達の目が、目で見える、分かたれて見える世界。分子の世界です。

これを自我世界。分かたれの世界。分かたれの視座。このへんのことをとことん、突き詰めてできています…。

通常、人類は“分かたれ”の社会というか、分離社会です。今はエゴ社会というのでしょうか。自我の終焉でも、ノーマインドでもない世界の中で暮らしているのです。
恐れの中に生きる。

その恐れから防衛するために戦いの世界となり、その防衛しなくてはならない信念や確信が、物質を強化する…。
そのようなことが強化する。

戦争とか戦い。まぁ、ありとあらゆる策略とか、支配とか隷属とかがまかり通ってしまう悲しみの世界。
これが、分かたれの視座から生まれる世界です。

この物語というか、このプログラムを再度作り直したのは、非常にそれが、その一体の視座、素粒子の視座です。
神の創ったというか、創造主体の想念や意識、夢によって生まれたような一体の一者の夢のような世界から、物事を見るという…。

そのような意味での覚醒です。

要は、自我から無我へ、または、自我の視座から一体の、無我の視座です。

これは、終わりある生から、一体ですから、一者ですから、要は終わりなき生の、自我だと思ったら一体の愛だったみたいな、一体の側だった、一者の側だった、一者の部分だった。神の部分だった。ということです。
そのような視座でシフトするという、この物語を通して、そのようなプログラムです。

その出した意図というのは、幼稚園や保育園をやられている方から、そのような指摘を受けたときに、それが必要だと思ったということもありますし、やはりそのような、何も所属せず、また、所属された方々もスキルアップに、ニュートラルに、何かに入らないで、家で学べる。

そして、そのような気づきを、そのような視座から物を見るトレーニングです。

そのような意図で、創られたものです。

そのことで、MARTHがずっと伝え続けてきた、要は万物の視座。とわなる、永遠なる、宇宙の視座。

これは別に子どもたちだけでなくて、これから未知の世界に帰ってゆく、僕もそうですけれども、年をとられた方たちが万物に還ってゆく。
その分かたれたと信じた自分から、実は自我だと、自分だと思っていたところから、実は自分でなかった。一体の視座というのでしょうか。素粒子的な世界に還る。
電子的な世界に還る。そのような方たちのやすらぎや喜び。至福にもつながるというふうに、思います。

また、それをかけておくだけで、流れているだけで、みんながそのような気持ちになれるような、そんなものに仕上がったなと、思っています。

このご質問に答えられたかどうかはわかりませんが、大事な一体の視座を取り戻してゆくという、そんな想いです。

それでは、今日はここまでにして、あとはインナーでちょっとお話しします!

それではまた、お会いしましょう。
お相手は、たわごとMARTHでした。
それではおやすみなさい。

MARTH

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