Vol.30 分離社会を終え、人類は、科学的視点から一体性を学ぶことが、世界にとって重要である…(オープンセッションのみ)
Vol.30 分離社会を終え、人類は、科学的視点から一体性を学ぶことが、世界にとって重要である…(オープンセッションのみ)
Lastra Quantum Healing Academy トークセッション
Vol.30「分離社会を終え、人類は、科学的視点から一体性を
学ぶことが、世界にとって重要である…」
オープンセッション
はい、たわごとセッションの時間がやってまいりました。
今日は外で、リリも出演されて、2人でお届けいたします。
まもなく、明日クリスマスということで、世界は大変混乱している…。そういう質問が沢山来ております。
そんな中で、
Q:世界は善と悪。光と闇の戦いになり、大変なこととなっています。とても心配です。
という…。こういう感じのご質問がすごく多いんですね。
トランプさんのこととか、そういう方々の、世界の進化というか、なんというのでしょうか。その封建的社会というか、支配と隷属みたいな世界から人類が目覚めてゆく、進化してゆく時代だと、僕は思いますね。
まぁ、この、悪とか正義とかというよりも、分離社会が前提として一万年もあった場合ですね。
美しいハート、その中でも守りきる。それは一族とか家族が、傷つけられても傷つけないとか、戦いとか分離、闘争、自我を否定している…まぁ、僕のところはそういう寺とか神社とか長い歴史が、母方にも父方にもありますから、ラッキーにも、その宇宙に合ったことで叱ってくれていたので、叱られることがね、分離するなと。戦うな、勝つな、偉くなるな、すごくなるな、抜きに出るなと、そういう教育だったのです。
特に、人を裁かなきゃならないようなつらい仕事でしたから、余計父はそうだったのかもしれないのですが、やはり、先祖代々なのでしょうけど、一体性というのがものすごく大事なのです。
そういう意味では、社会が分離しているわけです。
自我世界。分離社会です。要は分子の世界ですね。
分子の目があるのです。分子が見える目というのがついていて、そうしますと、物事が分かたれて見えるのですが、素粒子が見える、素粒子とか原子の眼鏡をかけていた場合、また、そのようなものが見える目を持っていた場合は、一体に見えるのです。
つながってしまうのです。
実際に、電子的には私たちの想念とか、そういうのも全部、電子的なものです。
で、こう、身体とか肉体は、分子的なものです。
分子的なものはエントロピー増大して、腐食酸化すると。それで、朽ちてゆくという…。しかし、電気体は影響を受けないというので、霊ということになって、人間はわからなくなったんですね。
だけど、ただの素粒子レベルの話なのですが、その当時はまだ電子顕微鏡も、またそのような様々なものがなかったから、非常に霊的というか素粒子的にカンの鋭い人たちがリーダーシップをとっていたのです。
そんなことで、闇と光の戦いだと、僕は思いません。
すべて闇です。分離は。はい。
苦しいです。この分離社会が初めにあって、そこで育てられて、ラッキーにもその分離社会の中でも分離じゃないことを伝える家がどれぐらいあるのでしょうか。それは非常に不可能に近いです。
あと、猜疑心。恐れ。恐怖。分離。
その中でみんな、どう生きるか。
人のふるさとに侵入するような世界です。
それが長く一万年も続いてきて、人類はもうことごとく疲れ果て、苦しんでいます。
分離社会で、MARTHさんはそういう家で育ったから、愛があっていいですよね、なんていう人もいますけど、僕も分離社会の中で非常に苦しいです。
だから、分離社会を終える試みをみんなでしないと。
例えば、分離が激しくなった人は犯罪も犯すだろうし、不正も働くでしょう。
でもそれはもうやむないことで、分離社会の中の防衛が根底にあると思うのです。
だから、やはり、一回、確保されたとしても、そのような啓発とか、セラピーとか、鎮圧や、溜まったものを全部出し切るとか、怒りとか憎しみとか、泣くとか、そういうものをセラピー的なセンターで、全部出して、そして、一体性を学んで、出てくる。
これは別に犯罪を犯された方々だけじゃなくて、あらゆる人が、そういう風に一体性を学び、学校でも、テレビでも…。テレビはもうないかもしれませんが、インターネットでも、みんなが愛を、一体を学ぶ。素粒子を学ぶ。科学は量子力学をもっと突き詰める。
そうすれば、世界は良くなります。
愛の世界になってゆくだろうし、みんなが一体だったんだと。素粒子で見た世界はどんな世界なのか。すべてがつながっている…。
分離してしまった原因は何かって言いますと、それはまず第一に言葉というのがあると、名称をつけるのです。
で、言葉は名称づけです。
ですから、いろんなものを名称をつけることで、分かたれた感じがします。
それから五感というものがあります。その五感によって、一体のものが、ここまでが自分だという感覚になります。
その上、目で見たものが分子しか見えないので、分かたれて見えます。
それで、人は戦い、闘争、比較、また、そこからの恐れ、不安、野心、野望になってゆくのです。
ですから、そこから自由になれないのです。
僕は、そのような啓発のトレーナーを長年やっていました。そこから自由になるサポートをするのが、トレーナーの仕事です。
いろんな方たちが一体に戻る。
だから、自由になるということですね。
その分離から、自我から、分離から…。
というか、分離って妄想なのです。今言ったように言葉がなくて、五感がなくて、目が、素粒子が見えちゃったら、一体だって分かっちゃうのです。
かつ、未知で神秘だということ。この世界が神々の、神の夢というか、創造主の夢のような世界だということが科学的に調べたらわかっちゃうのです。
そういうところに人類は今から入ってゆくと思うのです。
そうすれば、誰でも愛に還れるし、社会はどんどんどんどん善良化してゆくし、今までの分離社会で苦しくなって、悪くなって、怖くなって、そうなってしまったとしたら、そういう観念の問題です。観念ってカルマと呼ぶものの正体です。
カルマとは、観念なのです。
分離の観念です。
分離じゃない観念はカルマじゃないのか、といったら、そうです。
カルマにならないのです。
宇宙に合っているので…自然界に合ってて、万物に合ってるから、分離の観念が、自我の観念が妄想なので、カルマという風になって、破滅が、破壊か、またはバチ、または気づかせよう、目覚めさせよう、と、一体に戻そうと万物である自分がやるのです。
神様がやるとか、天がバチを当てているのではなくて、自分たちでやるのです。
自分たちの素粒子が、自分たちに気づかせようとするのです。
そういう安全装置、安全ベルトが、宇宙がつけてあるのだと思われます。
世界は闇と光、と書いてあります。
美しいハートを保っている人々とも、保てなくなってしまった人々。分離社会の中で、もう保てなくなってしまった。あまりの恐怖と苦しみで…それがいるという風に、僕は思います。
善と悪がいるのではなくて、それでもなお、それでもつながって、それでも愛を保ち、正義を保ち、誠実さを保ち、善良さを保つ人々がいる。また、どんな人でもそれがある。
それと、それを保てなくなってしまった悲しみと苦しみの人がいる…でも、その人たちも元に戻りたい。しかし、戻れない。
だから、自らを罰する。自ら償おうとする。自らを目覚めさせようとする。自らを破滅に向かわせると。
だから、破滅に向かわないで、愛へ戻って欲しいですね。
破滅や、破壊や、人生をダメにしないで、愛に還ってほしいですね。
みんなで。
で、そういう啓発のセンターというか、愛に戻る、目覚める勉強ができる学校とか、学校も、子どもたちもみんな世界中がそういうことをインターネットで学べて…。
ですから、僕はこういうのを無料で世界に出しています。
一体だということを理解してほしいからです。
そういうことは無料でいいから、また、なにか組織に入らないで、みんなが学べて、それで、みんなが還れて。
すごく分離でネガティブな方向に行ってしまった人は、そういうセンターで怒りや憎しみを全部出して、空っぽになって、それで、また愛へ戻って、そういう政府機関があっていいと思うのです。
だから、刑務所とか、罰するようなところじゃなくて、一時期そのようなセンターに入り、学ぶ。
うちの父親は法務総合研究所でそのような研究をしていたと思うのですが、刑務所というのは学校なのだと、彼は常々言っていました。
裁くところではない。罰するところではない。そこは、学校なのだと。善を学ぶ。愛を学ぶ。一体を学ぶ、学校であるべきだというのが、法務省の本当は考えなんです。
今もう、この世界があまりにもすごくなってしまっているから、そのように思えないと思います。誰もが分離社会だから…。
でも、本当はそうなんです。僕は子どものとき、それをちゃんとみました。父はいつもそれを研究していました。
だから、今、公務員の人もちゃんとやっているのかみんな心配になりますが、本当は、そのような善なるものをやるのが縄文でありますし、縄文の心。縄文というのはムーですね。縄文という言葉は、現代の人たちがつけた言葉ですから…。
ムーの人々は、ムーの末裔は、仲間がルールを守らなかった。仲間がそのようなことをしたときには、みんなで悟らせた。目覚めさせた。やはり一体性が薄まったり、愛が薄まるとそのようなことになりますので、それを取り戻すところにものすごく力を入れるべきだと思います。
人を罰するとか、殺しちゃうとか、やっつけちゃうとか、支配するとか、そのようなことはやめてもらいたいです。
どちらにしても、人を目覚めさせるところにお金を使う。
そして人が豊かに、幸せに暮らせるようにリーダーの人は、してあげてほしいです。
それから、病んでしまった、恐れで苦しんでしまった、分離してしまったつらい人たちをサポートできるセンター。そういうところに3ヶ月とか1年とか入って、とことんトレーナーになって、立派な愛の、許しの、傷つけられても傷つけない人になって、他国に攻め入るとか、他人を支配するとか、縛るとか、殺すとか、そういうことがない世界のリーダーに育っていただいて、社会復帰していただくと。
ところが、今、社会がもう分離していて、社会が分離社会なので、社会がケンカ社会。戦い社会。隔たり社会なので、それをなんとかしないと、人類に楽園は来ないと僕は思います。
今日はいろいろと喋っていますけど、たわごとだと思ってください。それでいいです。
ただ、自分は先祖代々何千年に渡り、そのようなことを学んできた一族で、かつ、父親も法務総合研究所で、囚人の方の回帰のことを、また、人類の愛への回帰を真剣に考えていたときの精子です。
その上、自分はずっと啓発の精神世界にずっといました。
そしてヒーリングという分野をずっと創ってきたわけです。
やはり、イヤシロに包まれた人類がイヤシロに包まれるようにしてあげてほしいです。
それでもなお、まだ分離と戦いで罪を犯すならば、それは本人が償うでしょう。
罰するでしょう。
本人が、やはりそれだけ愛があり、誠実なのです。宇宙は。
だから、本人が償います。必ず罰するし、償うし、破滅させるのは自らです。
そうならないように、本当に愛へ還る。正義へ還る。そのような美しい社会をみなで創ってゆく。
それが大切です。
そうすれば、人類は、どんどん、どんどん…。そのためにインターネットは生まれました。
今、SNSが非常に問題になっています。僕は若い頃、アップルコンピュータという会社の、ジャパン(日本支社)の副社長でした。
社長はジョブズの親友でした。
彼が考えた、というか、神が考えた。神がバックにいたとおもうのです。その分離、知識の果実を食べた、その罪を償う。
それが、SNSの力だと思います。
それが、インターネットの力で、一体であること。世界中に伝える。それが、アップルの役目です。
一体である。愛である。みんながインターネットで学べる。世界中、最果ての人までも、地の果ての人までも、子どもたちがみんな愛を学べる。また、悪くなってしまった大人たちも、分離で苦しい大人たちも、償いたい大人たちもみなそれで学べる。一体を学べる世界こそが、大切だとつくづくMARTHは思います。
たわごとです。
それではまた、お会いしましょう。お相手はMARTHとリリでした。
MARTH
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