科学的に一体なる世界の中で、そうであることを知らないなら、それこそが人類最大の問題であるのか
科学的に一体なる世界の中で、そうであることを知らないなら、それこそが人類最大の問題であるのか
はい、トークメッセージの時間がまいりました…。
メッセージ、お便りの方から、ご質問の方から、お読みしたいと思います…。
この方は、これは…たぶん神父さんのような方ではないかなと思われます。
ご質問。Q:MARTHさん、私は長年聖職者というのですかね、を営み。職としてまいりました…。
もう70を過ぎました…。あなたのメッセージに出会い、大変衝撃と感動を得ております。そして、ひとつだけご質問をさせてください。
罪ということに対して、MARTHさんのお話を聞いていると、まるで一体でないこと。それを知らない無知にあるのではないかと想えてならないのですが、いかがでしょうか。
という、大変深遠な、メッセージをいただいております。
もう、先生がおっしゃられるとおりです。
私はそう思っています。
人類の罪、あらゆる問題。まぁ、犯罪や、また悪魔だなんだという話がいっぱいあるなかで、私はそういうふうには思っていなくて、これは私の個人的なことですが、そういう家に生まれましたので、犯罪やトラブル。ありとあらゆる問題のもとには、愛のなさ、一体性のなさ、逆にいうと一体性への気づきのなさ、もっと言えば、一体性への無知。要は科学的に、素粒子というか、まぁそう呼んでいるだけで実際はなんだかわからないものですけども、そのとてつもない中は一体で、未知で神秘で、つながっている。
そのような世界。分子が分かたれているからといって、そう見えるからといって、実はその分子は全部同じものでできている。つながっている。一体であるということを科学的に気づいている。
そこに対して、覚醒している。光名を持っている。
一体で、未知で神秘で、とわにはかり知れない世界となるなら、そこには永遠の生命、真の生命、分子レベルをこえた、真の生命が存在する。科学的に存在する。
そのように私は感じています。
まぁ、そんなことで、先生がおっしゃるとおり、先輩がおっしゃられるとおり、一体性の気づきの欠如。すべてがひとつでつながっているという、だから他というものは存在しないという、創造主の神の、またなんと呼んでもよいのですが、その夢のような世界である。一者の夢であるというような、古代の人が伝えてきたことが重要なのではないかなと。
そしてその気づきのない文明、文化、また社会は、やはり罪となる。罪を犯すというのは必然だし、個人も一体性を知らなければ、この世界が一体のひとつのものだということを、一者の夢であるということを知らなければ、戦いや闘争、比較、優越や劣等、ありとあらゆるものにさいなまれると思うんですね。
ですから、おっしゃられるとおり、人類の罪ということがあるとすれば、またそれを背負って命を落とした人たちも含めて、一体を知っていた人々と、一体を知らない人々の苦しみと痛み、悲しみは大きいのではないかなと思います。
それから、もしかしたら、イエス、要はキリストということを愛されておられるのだとしたら、大変立派な方だったと想うし、その方が、その先輩にあたる方が、その方もそうなんですが、この和の国に来られた伝承があります。
そしてその方が何よりも大切にしていたのは和することだったそうです。
一体である。和する。この世界が和でできている。これは縄文も同じことだったそうです。
和すること、一体である。だからこそ、戦争もない、戦いもない、闘争も比較も、優越も差別も、何もかもがない。
愛の中で暮らせた。和することを大切にした、そのイザイヤーナギィードの、その方の伝承も、日本に来られてからずっとそのことを伝えていたそうですし、ゆえに和する国であるし、そのことを世界の方々にお伝えしてゆくのが日本の役目なのではないかなと、私は想っています。
まぁ、お答えになったかどうかわかりませんが、先生がおっしゃるとおり、私は罪というものは、無知であること。一体に無知であること、ひとつであること、すべてが、他はないこと。何かに勝とうとしたり、何かを倒そうとしたら、自らを罰してしまうということ。
なぜなら自らは、素粒子でできている。いや、なんと呼んでもよいのですが、未知なものでできている。
分子でできていない。分子は原子、素粒子と呼んでいるものでできている。未知なるもので。そしてそれは、神の意識。愛の意識だと私は感じてなりません。
それゆえに、自らを自らが、自らの本質が、愛が、神の素粒子が、いや、電子が、罰してしまうのだと…。
ですから、誰もが一体で生きなければ、真の幸せや至福、繁栄や成功、真の豊かさ、素晴らしい世界は来ないのではないかなぁと、つくづく感じてなりません。
みんなが幸せになって、あらゆる人が至福の中で、この生を謳歌するには、神々が一体の人たちに用意した、一体の気づきのある人たちに用意したこの世界。愛の、一体の、ひとつなる、自我が終焉した美しい人類のために用意したこの素晴らしい世界を、私たちは堪能できる。そのような社会が、これから生まれていくのではないかと、心から願ってやみません…。
それでは失礼いたします。
MARTHでした。
MARTH
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