幸せに暮らす得点の積み上げ方とは?

幸せに暮らす得点の積み上げ方とは?

はい、今日もオープンなトークの時間が来ました。

今は夜です。
早速、大切なメッセージからお読みしたいと思います。
ご質問です。

Q:MARTHさん、私は58歳、経営者です。
私の母は大陸から来た、日本人ではないのです。
私は小さいときから、悲しみや悔しさ、差別や劣等。
そんな中で暮らしてきたと感じてなりません。
MARTHさんのを、全部読みました。最近では、しゃべり方が似てるとまでみんなから言われます。
幸せになりたいし、輝きたいと。真に幸せな人生を歩みたいと思うようになりました。お恥ずかしいことですが、今ではガンともなってしまい、様々な苦しみを振り返れば、良き人生ではなかったのではないかと、正直、思っています。
ぜひとも、MARTHさんがおっしゃっている、幸せに暮らす得点の積み上げ方というお話しをしていただきたい。そう思って、ご質問をお送りしました…。

というね、誠実な素晴らしい方からお便りをいただきました。
お便りじゃないな、メールですね。

で、幸せの得点…まぁ、この人生がゲームだとしたら、神々の世界ですね。基本は、一体なる世界です。愛の、未知の、神秘なる世界です。おっしゃられるとおり、そういう世界での得点のとり方。幸せの得点のとり方というのがあるのか、というご質問です。

そして当然それはあります。一体の世界、愛の世界では、一体であること、愛あることをすれば、得点が入ります。
逆をすれば、得点が、マイナスが入ります。おっしゃるとおりです。
素晴らしいです。そのとおりなんです。

で、たまたま、うちの一族は、前からお話したみたいに、両方とも、父親方も母親方もそういう宗教というですかね。寺とか、神社とかね、そういう一族を長―くやってきているからなのかもしれませんが、まぁ、神々とか、天とか、創造の主体。創造主とか、この一体なる素粒子と呼ぶか、なんと呼ぶかは別として、このとてつもないものですべてができていて、そこでは分離を嫌う、天がある。
一体の世界だから、得点のとり方は一体的なことをすればいいという価値観なんだと思うんですね。

そして、父親はそういう法務省のそういう法務総合研究所で囚人の回帰の研究をしていました。
囚人の方が、もとに戻る。愛に戻る。要は、素晴らしくなるには、愛を学ばなかっただけのせいだと父は思ってたようです。

愛。愛ってなんですか?ね。一体のことです。はい、もう慣れていただいたと思います。

愛とは一体であること。一体であるこの世界のことですね。だから、一体なことにいっぱい気づいて、一体なことを実践すれば、そういう方たちも回帰するというふうに父親は僕に毎日…。
だから、反対のことを、要は自己拡大、自己主張、自己が勝つ。偉くなる。すごくなることは完全否定していました。

それをやめてしまえば、愛に合ってるから、無我に合ってるから、一体に合ってるから、幸せになるという価値観だったと思うんですね。

で、私はそのことで自己拡大、自我が増えるというんでしょうか。一体からずれると、また人様に迷惑がかかるとか、人に危害を、また人を傷つけるとか、だから、自分がひっぱたかれたりするっていうとき、しつけっていうんですかね。そのときには、必ず、なんていうのでしょうか。負けたとかですね、ダメになったとか、やられたとか、バカにされたとか、差別されたとかね、そんなのはね、なんの害もないんですね。うちでは、それは素晴らしいこと。

それを許したり、愛したり、無我で受け取ったりすることは、素晴らしいことなんですね。
逆に、人を傷つけたり、人を、まぁだから他というか、本当は自なんですけども、周りの方たち、そういうのをちょっとでも、人に勝とうとしたり、偉くなろうとしたり、すごくなろうとするとひっぱたかれたんですね。

で、それはやっぱり仕事柄だったとも思うのですが、まぁそういうね、その罪を犯した人たちの育ちや、そういう苦しみ、つらさを聞くとですね。やっぱりそういう勝ち負けや、競争や比較があったり、劣等や、うぬぼれや、過信とか、そういうのが、人をダメにするって思っていたみたいなんですね。

だから、そういうのになると、父親は僕を叱りました。
運動会で勝ったりしても、怒って帰っちゃうっていうか。
人を負かしたりするなと。そういう教育だったんですね。

だから、この宇宙、この世界、人生がもしなにかゲームの機械だったら、点数のとり方、無我な世界、一体の世界ですから、そのことの方向性をすれば、いい点数が入るんですね。

逆に自我の拡大とか、そういうのになると、バチが当たったり、トラブルが来たり、すさまじいことになるんですね。

だから、いろんな人間の自我にとっての苦しみ、病気とか病・老・死。いろんなのありますね。あとトラブル、問題。
沢山ありますけど、多分、無我になればなるほど薄れていって、そいう問題が減ってゆくと思うのです。

能力も上がり、輝き、美しくなってゆくと思うんですね。

だから得点のとり方は、まぁ例えばですよ。
これがゲームで、相手の人と自分とでやっているゲームだったら、相手の人を負かそうと思うなら、競争やケンカをさせれば負かすことができるということなんです。

逆に、自分を勝たせようと思うなら、負けたり、ダメになったり、叱られたり、へましたり、トラブったり、自我にとって嫌なことが起きたときに、それを許したり、愛したり、そうしたら点数が上がるんですね。

そういう世界だと、まぁMARTHはなんか言っているぞ。バカじゃないか。ってね。思っていただいたらいいのですが、要は、自分のことを良くしようとするよりも、悪くしようとした方が、一体に合うんですね。無我の方に。

そうすると、天が喜ぶ。万物が喜ぶ。神が喜ぶ。なんと言ってもいいのですが、この一体なる世界は、自己拡大や自我が勝つ、良くなる、すごくなるということを良しと思ってないっていうふうに、私は習ったというか、学んできました。

で、どうすればいいのか?要は、私などいない。いないものは勝てないし、いないものは良くならないし、ダメだ、悪い、なんだかんだ言われても、私がいないってなったら、別にそういう反動は出てこないですよね。

だから、私などいないっていう気づきが、人を癒すし、安らぐから、副交感神経化するし、安らぐからね。

私などいない。存在しないっていうことをおすすめするのは、そんなことしなくて結構なんですよ。

ただ、おすすめするのは、そうしたときには、自我が悪いのもなくなるし、自我がいいのもなくなる。で、安らぐ。ね。

そういうふうになれば、争いやケンカや戦いっていう分離が自分の中から消えてゆく。そうすると、私は、点数が入る。
要は良くなる。真に美しくなる。豊かになる。成功する。繁栄する。

ね、真に持続可能な繁栄をする。幸せになる。
人間関係も良くなる。
自我が勝ったり、偉くなったり、賞をとったり、すごい人になったり、人気者になるよりも、逆をした方が真に、愛される。真に素晴らしくなると習いました。私はですよ。

それが参考になるのか、皆さんにとってプラスになるのかどうかわかりませんが、私はそういうふうに父から習いました。

それが、真っ当に子どもを育てるというふうに彼は思ったんでしょうね。

まぁ、彼はやはり特殊な仕事です。そういう、ね。大きな罪を、罪というか犯罪を犯した方たちを取り調べたり、またはサポートする仕事だったんですね。囚人の回帰の、囚人の方の回帰の仕事の研究家でしたから、一番大事なことは愛に戻ること。一体に戻ること。ひとつにもどること。その気づきを沢山持つこと。そうすれば、どんな子どもさんも幸せになり、愛になるって父親はそう思ってたみたいです。
そういう専門の研究家だったからですね。

で僕も、世界中のそういう、啓発とかいろんなトレーニングとか、自分を観るセミナーとか、トランスフォーメーションのリーダーとか、いろんなことをやってきました。

また、瞑想やメディテーション、いや、いろんなものもやってきましたが、そういう答えだと僕も思います。

人が幸せになるには、最高になるには、輝くには、いろんなものが良くなるには、私が減ってゆくこと。私という観念が、価値観が消えていって、一体へ還ってゆくこと。真我へ還ってゆくこと。愛へ還ってゆくこと。それにつきるんではないかなぁ~って思います。

それではまたお会いしましょう
MARTHでした。

MARTH

Post a Comment