分離の悲しみに気づき、あらゆる隔たりをこえて、共に生きてゆく
分離の悲しみに気づき、あらゆる隔たりをこえて、共に生きてゆく
はい、今夜もオープンなトークセッションの時間がやってまいりました。
最近は、「MARTHのたわごとコーナー」という風に呼ばれだしているようです。スタッフの間で。
ということで、今日のたわごとなのですが、ご質問からお読みします。
Q:MARTHさん。MARTHさんは、AとBが戦っていて、その戦っているベース自体が神のフィールド、愛のフィールド、素粒子のフィールドなどであるということをおっしゃられている。というふうに私は感じました。
そして通常は、AかBかということで物事を見ていると、その第三の意識のようなものが計算に入らない。それが大きな問題であるとおっしゃられているように感じます。
そのことについて、お伝えいただけないでしょうか。
という、非常に深遠なメッセージを頂きましたが、おっしゃるとおりですね。
例えば、自分の身体の中を考えたらわかるのですが、腎臓と肝臓が戦っているとか、肺と心臓の細胞が戦っているとか。
今までの分離社会というのは戦いの社会ですから、世界中で戦っている。
誰もがその比較や競争、分離の自我の世界ですね。
で、じゃあどこで戦っているのか。すみません、私の身体の中なんですけど、みたいに、神様というか、天と言うか、万物と言うか、創造の主体が、これは僕の身体の中。僕の地球の、僕の、私の中で君らは戦っているんだよ。みんな君らは私の一部だよ。
というような視座ですね。
それを計算に入れてない。という風に確かに感じますね。
ですから、天というか、宇宙と言うか、その身体で言うなら自分ですね。全部、自分の細胞さんなわけですから、みんなが仲良くしてほしいし、あまりにも問題があるから、外科的に切ってしまえとか、抗がん剤でがん細胞になったからやっつけちゃえ、殺しちゃえというふうにだけでは、どうしようもないときはしょうがないのかもしれませんが、できればその細胞さんが治ったり、その問題になったところが気づいたり、そういうことになってほしいですね。
で、その第三の意識とおっしゃられた、要は自分の側ですね。
細胞の側じゃなくて、自分、これが愛とか神とか、本質とか。
で、やっぱりこの競争世界、比較世界、自我世界でみんなが戦っているし、僕も若い頃そういう思い出があるんですけど
自分のその、自分を観るセミナーみたいなのを初めて受けた頃が20代の前半にあったんですけど、そのトレーナーの人が言ったことが、まぁその人は学生運動みたいなことを若き日に、大学生の時にしてて、それで社会と戦ってたのか…
そのときに、恋人を連れて一緒に火炎瓶を投げたと言っていて、そのような全学連のようなのに彼は入っていたのでしょうか。
その方は、その恋人が失明してしまったらしいんですね。
で、自分は戦っていた。愚かだったということを彼が言ったときに、僕は…僕はクリスタル族みたいな、何というのでしょうか…
そのトレーナーの方が言われるような、そういう時代の世代ではないので…
でもやはり自分はクリスタル族のリーダーでしたから、やっぱり、なんというか、自分を見ましたね。
自分も、そのような戦いや争いに入っちゃダメだと。愚かだったなと。絶対にそういう争いや戦いに入っちゃダメだと。
自分で気づいてない中でも、いろんなその分離社会の中ではいろんなことにおいても争いや、戦いや、負けず嫌いや、競争や比較があって
そういうのを本当にやめたいな。本当に嫌だなと思える想いが、自分を本質に帰らせて、そういうことでいっぱい泣けたり、泣いたり、悲しむことが癒しですね。
戦ってきたなとか、負けたくなかったんだなとか、競争してばかりだったなとか、そういうことをこう認めて、自分で気づいてあげる。そんな20代でした。
で、それが本当にこう、泣いたり、そういう事で泣いたり、割れたりするというのはすごく良い事で、すごく癒しになるなと思いますし
やっぱり、この神々の世界、愛の世界、素粒子の世界、一体の世界、森羅万象、なんというのでしょうか。
真我、また創造の主体の世界、創造の世界の夢。一者の夢。
ありとあらゆる言葉がありますね。
その本質。
愛というか、自分の本当の深いところの自分。それが第三の意識と、今おっしゃられたものだと思うのですね。
それはとても大切だし、その第三の意識が自分に目覚めさせようとするし、気づかせようとするし、バチも当てるし、メッセージも送る。
ブレイクダウンも、いろんなものも、自らに与えるでしょうね。気づくために。
自分の野心や野望や念望。自我の、分離の苦しみ。分離によって、どれだけつらかったか、苦しかったかに気づくことはすごい癒しだし
自分のせいじゃないと言えば、社会が分離しているわけですから、当然その中ではそうなっていって仕方ないことだと思いますね。
だから、気づいて、いっぱい泣いて、還ってゆく。
本当の自分、本質に。それは本当に素晴らしいことだし、人々が、この世界が癒えて、癒されていく素晴らしい愛の世界になってゆくためには、必要な段階だと、自分はつくづく想います。
その意味で、ひとつ思っていることがあるんですけど、いろんな方たちが今本当にMARTHにメッセージをくださるんですけど
できればそのようなコーナーを、シェアリングコーナーを創って、MARTHのシェアリングコーナーは、分離の、この分離社会の戦いの社会の中で傷ついた。また、戦ってつらかった、苦しかった。
その戦いの中で失ったもの。自分が台無しになったこと。
その分離社会の中で悲しかった。つらかった。その中で自分がどんな風に生きてきたのかということをシェア。要は分かち合っていただける場所があったら、それをみんなが見ることができて、互いに成長できるんじゃないかなって今ちょっと思っています。
そういうコーナーを創って、みんながそこに投稿してくだされば、それを見た時に、ああ自分も同じだな。そんなことあったな。戦ったな。とか、負けたくなかったんだなとか、つらかったんだな、悔しかったな。
そんなんで、認めることができたり、泣くことができたり、癒されて、反省したり、なんというのだろう。いっぱい泣けたり、新しく生きたいなって思えたり、自分の真の本質や秩序が取り戻せたりできたらいいな。そんなコーナーがあったらいいな。と今考えています。
そういうのを、ぜひ、スタッフの皆さんに創ってもらえたらなと想います。
それでは、今日はそんなところで失礼いたします。
お相手は、MARTHでした。
MARTHのたわごとコーナーでした。
それではおやすみなさい。
追伸です。
今、レコーディングのために、曲を今イントロを創ったり、間奏を創ったり、コーダを創ったりしながら、歌詞をまた見直したりもしているんです。
「愛しているから」のアルバムコンサートというか、ドヴォルザークでやろうという話があって…
で、離れたところでもやれるということで、現地には行かないのですが、同時にオーケストラと一緒にやるというような話をやっていて
その歌詞の中に「あなたと共に生きてゆく」っていうサビがあるんですね。
で、ちょっとふと思ったのですが、あらゆる人と、敵も味方もなく、世界中の人と、あらゆる人と共に生きてゆくっていう想いは、やはり癒しじゃないかな。
要は分離している世界の中で戦って、争って、ずっと恐怖と支配と管理と、そういうふうにしなくてはいけない苦しみ。
そういうことをされる方も、する方も、そういうことではなくてみんなが共に生きてゆく。
で、このサビに、「愛しているから」という歌を今やっているのですが、それを直しているんですけど
「あなたと生きてゆく あなたとこれからも」という歌詞があるんですね。
「美しい星に少しでもなるように生きる」
あなたと共にこれからも生きてゆく 世界中の人と共に生きてゆく あらゆる隔たりをこえて、分離をこえて生きてゆきたいっていうような気持ち…
ですから、自分が一番ゆるせなかった、一番敵対した、一番分離した人。また分離した人々。一番戦った。その人たちと共に生きてゆく。
その人たちとこれからも永遠に共に生きてゆくっていう愛しさ。
許しというのかな…。それが自分を一番癒すし、自分が一番反発したものを許すというか愛する。共に生きてゆく。
あなたたちと生きてゆくというその未来。
それが人を癒すんじゃないかなぁなんて…。
一番反発してきたことを、反発してきた人々を、共に生きると許す時、愛は帰ってくるんじゃないかな、なんて、想います。
そんなふうに想えたら、きっとみんな、幸せになるんじゃないかな。
癒される気持ちになるんじゃないかな。
自分の中から分離が消えてゆくんじゃないかな。
自分の中の敵が消えてゆくんじゃないかな、なんて、ちょっとふと思ったので、追伸しました。
MARTHのたわごとでした。
それではまたお会いしましょう。
MARTH
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