シディ的真実と量子的真実、プラズマ的真実は同じものである。この世界は一体なる神ゆえの愛の世界である…(オープンセッション)

シディ的真実と量子的真実、プラズマ的真実は同じものである。この世界は一体なる神ゆえの愛の世界である…(オープンセッション)

はい、今夜もトークセッションの時間がやってまいりました。
早速、メッセージの方、質問の方からお読みしたいと思います。

今日もリリと一緒なので、リリがハーハー言ったりするかもしれませんが、リリとは、愛犬。金髪美女のゴールデンリリです。

まず、お読みします。

Q:MARTHさん、今月行われるチェコのコンサート、大変楽しみです。

早速、僕の質問です。
長年ニューエイジをやってきましたが、MARTHさんの話を聞いて、開眼することがたくさんあります。

特に、量子力学的な、また、シディ的なことの私は大変興味を持っています。

そして、その心のことと、物質的なことが両方ひとつとなるような気がしています。

そこのところをより深めたいので、お伝えください。

という、ご質問をいただきました。

まぁ、どこまでオープンの方で話していいのか、ちょっと僕もわからないのですが

インナーの方にも入ってしまうかもしれませんが、まず、古代ですね。
古代は間違いなく量子力学。要は、量子力学というかシディ的世界。要は半霊半物質的世界。

この半霊半物質という言葉はものすごくニューエイジでは言われるのですが、実際どういうことかということですが、これは現実でないという意味です。本当の意味は。

この世が現実でないと捉えているという意味なんですね。
実際に、素粒子の世界というのはフォトンの世界。もっと言うと、プラズマな世界なんですね。

ですから、現実ではない。現実ではないというのは素粒子の世界。シディの世界では過去にも、未来にも、好きなところに行ける。

また、宇宙の果ての果て、瞬時に移動できる半重力。

または、一体でつながっていて、あらゆるものを感じ取り合うことができるとかね。

要は現実世界だと、特に今人類が信じているゆえに、それを左脳とかもいいますが、この世界が現実ではない。

要は、創造の主体の夢であるという、古代の叡智ですね。
これを基本に考えないと、非常に知識的、左脳的な理解になってしまうのですね。それは分離的世界です。

はじめに言葉があり、その後知識の果実まで食べる。
あとは五感があるわけですから、完全に分離する要素がそこで生まれます。

動物たちは、言葉がない。そして、知識の果実を食べていない。
ですから神の子のままでいる。わんわんたちは神の子のまま、五感があるだけ。で、人間は分離の価値観、自我世界。戦いや攻撃の世界の観念を持ち、かつ、言葉があり、かつ、知識を信じ、知識の果実も食べ

そうすると無垢や、一体や愛を失います。

そういった意味で、古代は、言葉もなく、知識もなく、未知なる神秘なるところにただいた。
逆の言い方をしますと、自我がなかった。一体であった。
自我があるということはですね。悔しいとか、つらいとか、苦しいとか、ちくしょーとか、恨みとか憎しみとか、自我がなかったら、そのようなこと思えないんですね。

なぜなら、自分がいないわけです。怒っている自分、悔しい自分、つらい自分、全部自分が存在しない。
何か頭にきたとか、悔しいとか、そういったときに「私がいなかった」とやってしまうことで、分離が終わってしまいますね。

で、分離が終わってしまう。だから、自我がないということは、分離社会が終焉するということなんです。

自我の終焉とは、分離の終焉です。

分離の終焉というのは、自我の終焉です。

そして、それは一者の夢であるという科学的この宇宙の事実と一致するんですね。
一者、創造の主体の一者の創造の夢である。
だから、この素粒子は想念である。素粒子は物質ではなく、物質映画である。夢である。
という捉え方を古代の人々は持っていたと思われます。
そのようなものがいろいろと残っているので…。

ということは、この世界は愛の世界だ。
逆に言えば、愛で生きる。一体で生きる。無我で生きるということは、絶対的に必要な条件。幸せになる、至福になる。

真の成功をする。持続可能な繁栄をする。
繁栄を遂げる。幸せに生きる。ありとあらゆることが自我の終焉。

要は、分離の終焉。一体の中で生きる。未知の中で、この世出ない中で、現実でない中で生きる。それが科学的本当は真実で、この世界は現実でもなく、この世でもなく、分離もしていない。

要は神の現れのような、愛の現れのような、とてつもない世界だということです。

それから、様々な分子的な苦しみがありますね。
毒だとか、また成分的ないろんな問題。
病気でいうとガンとか、いろんな病気があります。

これは分子の世界のことですね。
全部原子に戻ってしまったら、元のものに。要は分子が原子に戻り、原子が素粒子に戻る。

要は想念に戻る。愛に戻る。愛でできて、それが電子となり、電子が綺麗に回る。するとエントロピーが減少し、そして物質化され、それが、分子となる。

で、よく“癒し”という言葉がありますが、これ、“癒し”日本語で言うと“イヤ・シロ”で、反対が“ケガレ”と呼ぶんですね、古代は。

ですから、“ケガレ”と“イヤシロ”
“イヤシロ”というのは、原子が素晴らしく回っている状態。電子が綺麗に回っている状態。これをπとも言いますが、言っている人もいますが

要は、愛とか一体の状態のときに起こること。
シディもそうですが、ここに自我の要求、欲求、願い。
また、これを自我の分離の野心、野望、念望は、返りが来るんですね。

ところが、一体の愛に戻ると、素晴らしい、その人には物質映画が生まれるんです。

まぁ、たわごととして聞いてくださいね。
このへんはちょっと、インナーな方にて話させてください。

やはり、様々な問題があるかもしれないので。

ですから、このプラズマの世界。量子の世界。そのようなものに満ちた水とか、光とかがあります。

それは、素粒子の世界の話なので、この分子の世界のあらゆる問題を解決できます。

人類はその方向に向かってゆくでしょう。
要は、プラズマの中では、時間をこえて、場所もこえて、要は…
これもインナーの方で言ったほうがいいのかな。
テレポーテーション的なことも含めてありとあらゆるシディ的なことがプラズマの中で起きます。

それは想念の中でも、メディテーションの中でも起こすことが可能です。

なぜならこの世界が現実では本当はないからです。
そしてかつ、愛の世界です。一体の世界です。

善で生きなければ、大変なことに本当はなります。
愛で生きなければ、一体で生きなければ。

分離や戦い、闘争、騙しや憎しみ。十戒の中で言われることが、本当はそのことです。

愛で生きなければ、人は自らを決して許しません。決して愛しません。メッセージをしてゆきます。
これは肉体の、身体の中も同じです。そのようなことを、人類はこれから、沢山気づいて、愛の千年王国をきっと創ってゆくことでしょう。

皆さんも、真の成功を遂げ、真の繁栄を遂げらっしゃることでしょう。

素晴らしい世界を皆さんが生み出してゆくことだと感じて、また信じております。

あとは、このあとちょっとインナーの方で補足いたします。
それでは、またお会いしましょう。
お相手はMARTHでした。
たわごとでした。おやすみなさい。

MARTH

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