#81 なぜ、愛と正義を失うと、永遠の命も失われてしまうのか(オープンセッションのみ)

#81 なぜ、愛と正義を失うと、永遠の命も失われてしまうのか(オープンセッションのみ)

はい、今夜もたわごとトークセッションの時間がまいりました。
早速、ご質問の方から、お読みしたいと思います。
まずはオープンのセッションです!

Q:MARTHさんがおっしゃっている、愛と正義を持たない人は永遠の命を失ってしまうようなことを拝見いたしました。

そのことを詳しく知りたいです。
どういうことか、お伝えください。

ということですね。

それは、この世界の実体が、素粒子とか電子、またはフォトン、またはプラズマな世界です。様々な言い方はあると思うのですが、これは古代の精神世界ではアストラルとか、メンタル体とか、いろんなことを言いますよね。

最近は、科学が進んでこの100年くらい、量子力学が進みましたので、想念で素粒子ができているということが段々解明されてきています。

それが世の中でオープンになっているかどうかは、ちょっとよく自分はわからないのですが…。
結局その、私たちを創っている素粒子の世界、原子の世界、電子的世界というのは、すべて一体につながって、瞬時に連絡をとりあえるというのでしょうか。瞬時に移動もできる。
ちょっと科学的に言いますとですね。
例えば宇宙のはてのはてのはての、その素粒子と、地球の素粒子が一体なので、瞬時に一緒に動くことができる。この宇宙というのは、一体性なんですね。

宇宙のはてのはて、とんでもないはてのはてのはての、どこまでも行くはてのはてと、今ここと、一体につながって同時に動くのです。

ですから、距離がないのです。で、そこから私たちが容易に想像できるのは、夢の中では宇宙のはて、どこまでも行けるように、夢のようなものでできているというのが、古代からの伝承されてきた、この世界は夢である。夢のまた夢であるという、昔の武士の価値観。一元に帰すとかですね。一体に戻る。
これは量子力学レベル、素粒子レベルの生命を、本当の生命とみなしたというのが古代の人々の叡智なのです。

そして、またソクラテスが言うように、そこは未知で神秘である。永遠に、分かることすらわからない。わからないことすら、わからない。分かることは決してない。
分けることは決してできない。
というような世界であるというように捉えて、古代から人類の叡智はあったわけです。

だから、分子が腐食酸化しますが、分子が朽ちても、電子体、素粒子体、原子体は腐食酸化しないので、それが永遠(とわ)の命。これをスピリットと呼んだり、魂と言ったり、真の自己。真我、大我。いろんなかたちで呼ぶのです。

その宗派によって、いろんな宗教の方も、言い方、呼び方が違うのと同じように、精神世界でも、また地域や文明、文化によってみな違う表現をしますが、言っている根源は、未知で神秘の真の自己、真の本当の自分。

それは、万物すべてと一体である。
すべてとつながっている。永遠(とわ)である、永遠である命。
これは当然、イザヤさんも、イエスさんも、モーゼさんも、皆さん伝えていたことですね。

ただ、ちゃんとそれが伝わっていないと、誤解をします。

愛とか本質とかというのは、優しいとか、執着とかそういうことではなくて、一体だということなのです。

すべてが一体だ。だから、興味もないというくらい、一体なのです。
優しくもないくらい、すべてが一体。ひとり、一者の夢であるというところまで、行きます。

というところから、じゃあ、先程の質問に戻りますと、分離、自我とか、自我がありますと、恐れがあります。
当然、勇気もなくなります。当然、正義も、非常にやりにくくなります。
だから、愛と正義、勇気、愛と勇気と正義、自我でいると、当然失います。

そういう意味で、分離という価値観。ケンカ、闘争、他と自。
自己拡大、自己主張を、僕の一族では、僕の家では否定されました。

勝つな、えらくなるな、すごくなるな、自我を良くしようとするな。突起するな。自己拡大、自己主張。そういうことを良しとしない、父だったんです。

傷つけられても傷つけるな。負かされても、決して勝つな。人にまさろうとするな。ありとあらゆることでひっぱたかれたりもしました。
だから、普通の人は逆だということを知るのは、結構年取ってからだったのです。

そのように、自己拡大。一体なのだから。なぜ、うちの父親がそうだったのかというと、うちの父は法務省の法務総合研究所というのがあるのですが、法務総合研究所というところで研究員だったので、その囚人の方の回帰の仕事をしていたときの僕は精子ですから、なぜ囚人の人が犯罪を犯すのか。
やはり分離、一体性のなさ。恐怖。つらさ、苦しみ。
悲しみ。先祖がすごい目に遭ったとか、代々のいろいろな苦しみ。
つらさ、恐れ。また、ケンカの観念。分離の観念。要は負けず嫌いとか、勝つとか、競争とか、比較とか、そういうことがダメージとなる。
一体のダメージとなる。ということなのです。

で、たまたまそのような寺とか神社とかをやっていた一族なので、そのような1000年にも渡り、続けてきているようなので、そのような価値観になっていたのでしょうか。

で、僕は若い頃よく、お前の家、変わった価値観だな、というようによく言われましたけれども…。
精神世界やニューエイジを経験してゆくと、それに非常に合っているのですね。父親が言ってきたことが。

この競争世界とか分離社会。
一体でないと信じた社会を僕は分離社会と呼んでいるのですが、そうしますと、当然自我世界ですね。
自と他の世界。そうすると、一体だというようにならないので、そこから争いや不安。
恐れ、憎しみ、怒り。ありとあらゆるものが生まれます。

すべてがそれが悪いと言うわけではないでしょうけど、やはり、恐れというものがあれば、正義を貫くことや、純粋さや、誠実さや、そういったものにダメージをきたす可能性があるわけです。

ですから、そういうことになってゆきますと、同時にその原子性というか、素粒子性というか、フォトンというか、素粒子と言うか、そういう永遠なる世界です。電気体というのでしょうか。

ニューエイジ的に言うと、メンタル体とか、アストラル体とかいろいろと言います。
僕はそれを素粒子と言っているのですが、そういう方がわかりやすいですから。その素粒子、永遠なる微細な世界です。
分子は朽ちても、本体であるエネルギーというか、そういう素粒子体が存在すると。電気体というのでしょうか。

そういう霊的な世界というのは電気体だというように自分は感じとります。
そういう永遠性というか、万物の部分としての永遠性、万物そのものである永遠性が、自我によって失われてしまう。

逆に、不正とか、腐敗とか、そのような正義の無い生き方をしますと、永遠なる命を失ってしまう。

これをニューエイジでは“霊斬”とか、自己破滅と呼びます。
だから、自我が自我を守ろうとして、自我を失うというのでしょうか。
自我と言うよりも万物の部分を失う。本当の自分。真の自己。
真我を失うと言った方がいいでしょうか。

ですから、分子の世界が自分だと思っている。分子の世界だけが自分だと思っていれば、当然命は短い。これだけの、100年も持たないかもしれない。
そういうことが人生だと思ってしまうわけですが、本当は、微細な世界が構成している分子なのです。

そういう意味で、微細な世界。ですから、菌とか、細かい微細な世界は常温核融合ができるというのと同じです。そういう世界です。

それを持って見てゆくと、私たちは、愛と勇気とロマンと純粋さ。
誠実さ、インテグリティというのか。ジャスティス。
そういうものを持って生きないと、本当の魂というか、本当の生というか、永遠なる美しき生を失ってしまうのです。

それに引き換えに、ケンカしたり、戦ったり、戦争したり、争うのは、本当に愚かだし、不正に入ったり、間違ったことをしたりすると、宇宙から罰せられる。宇宙である自らから、素粒子の自らから、罰せられたり、破滅とか、滅ぼすとか、霊斬という状態になるというのが、古代から言われてきた、精神世界では言われてきたことです。

だから、そういうことを学んできた人たちは、永遠な命を大切にすると。そして純粋に生きる。真っ当に生きる。正しく生きる。地位や名誉、えらくなるんだ、すごくなるんだ、ということよりも、そちらを選ぶのです。

しかし、だから得れないのか、というとそうではなくて、だからこそ、部分が守られ、愛され、うまくゆき、素晴らしくなるということを理解することが大事です。

それでは、ここから先はもうちょっと、言えることと言えないことということがありますので、それはインナーなセッションでお伝えします。

それではまたお会いしましょう!
MARTHのたわごと。お相手は、MARTHでした。
おやすみなさい。

MARTH

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