#85 「万物の一体性から、自我として独立することは大変な不幸を招く。今人類は、本質である愛に帰還するときが来ている…」(オープンセッションのみ)
#85 「万物の一体性から、自我として独立することは大変な不幸を招く。今人類は、本質である愛に帰還するときが来ている…」(オープンセッションのみ)
はい、今夜も…今夜は、でしょうか。
MARTHのたわごとセッションのオープンのセッションのお時間がやってまいりました。
今日、たまたま、スクールを受講していただいております方が、お仕事の関係で来られて、お話しをしました。
それで、その時にご質問があったり、お話しする中であったことを、それはやはり皆さんにもお話ししておきたいなと思って、今日は、それを録ることにいたしました。
世界は混乱で、非常に分離の戦いの最終戦のような形になっています。
それはそれとして、幸せに生きるとか、愛で生きるとか、全人類が本当に真の成功と幸せ、豊かさを手に入れるというところから、一番大事なことは一体性。要は、分離をこえる。要は分離の終焉。それはイコール、自我の終焉のことなのです。
そのことについて、今日はちょっとお話ししてゆきたいと思います。
まず、ご質問の中にいろいろとあるのですが、その一体性ということは一者である。ひとりであるということはどういうことですか?という
ご質問もあります。
これは、素粒子レベルでは、この宇宙は一者の夢。真我の夢。愛の夢。それをなんとでも言えます。
ありとあらゆる人が、それを名付けています。神とか、または創造主とか。英語でもいろんな言葉で言います。
要は、この世界を創った人。この、我々分子レベル、要は物質というのでしょうか、我々の物質世界の見方で言うと、この世界を創るってすごく大きな感じがします。
しかし、この世界が夢で、夢でできているとすれば、ひとりが夢を見ればいいだけなのです。
そのように捉えて頂くと良いと思うのです。ひとりの夢。神の夢です。
神が夢を見ている。そして、神の子どもたちが、その部分、部分の夢を創っている。配役というか、神というか、創造主が監督。舞台監督だとしたら、出てくる人がいます。それが人類だという風に捉えて頂いて良いと思います。
だから、ひとつのこの、宇宙の夢をみんなで描いている。
で、当然、森羅万象、万物である真我、神。
創造主から見たら、すべては自分の中なのです。
子どもたちがそれを担っているというように見てくださると、わかりやすいと思います。
そこで、もし、地球と呼んでいる我々の星の価値観が分離であった場合、そこから独立しているということになるのです。
神から独立。万物から、万物自然、森羅万象から独立した自我、自己を持った人がいるということになってしまうわけです。
それが、人類の苦しみ。そのときに、万物全体からの支援がなくなってしまうわけです。
単独、孤立した、要は独立した存在です。万物から、創造の主体の夢から独立した存在になったということになります。
ですから、苦しい、つらい、悲しい、怖い、恐ろしい。
自我が、肉体の自我脳が、分離のためにそのように思います。
例えば、幸せや至福を保つには、まず怖いなぁとか、つらいなぁとか、悔しいなぁとか、自我にとってネガティブな状態に気づくことです。
まず、それが第一歩です。
あ!何か頭に来るぞ!とか、悔しいなぁ、なんか怖いなぁ。
で、その次に、そしてそれは誰に起こってきたか。という気づきが必要です。
そうすると、必ず、それは“私”に起こってきた恐れだったり、悲しさだったり、つらさだったり、不安だったり。要は、“私”に起こっていることです。自我です。
しかし、その自我は本当は無我であり、無私であり、無罪であります。非存在ですね。非在。無在。
存在していない。なぜかというと一体だから。存在しているのは、神の一部である。
創造主の一部しか存在していない。そしてそれは、素粒子だから、永遠である。
要は、分子でないので、腐食酸化しないのです。
それが、精神世界を学ぶのに一番大事なことになります。
で、それは誰なのか。怖いのは、悲しいのは、つらいのは、苦しいのは、悔しいのは誰なのか。それは、“私”です。
しかしそれは、非存在のものです。そこに気づきます。私って本当にいるの?存在しているの?存在していない。万物が存在しています。万物の一部分です。
それ、本当に存在しているの?いいえ。一体物なので、素粒子なので、永遠の中にいて。ところが独立して、自我を持っています。
だから、無在ではなく、有る在になります。有在。
また、無私じゃなくて、ある私。無私じゃなく有私ですね。
無我じゃなくて有我。
要は一体から独立した自我があると思いこんでいる。で、素粒子は一体です。電子も、一体物。愛。一者。ひとつ。万物、真我。
そこから独立してしまったと思い込んだ自我が、苦しみを創っているだけなのです。
ですから、本当は存在しないということに気づいた方が、すごく得なのです。しかし、ちくしょー!やられちゃうんじゃないかー!そんなんじゃダメになっちゃうじゃないかー!
ところがです。本質に戻る。本体に戻るということです。
そうすると本体が初めて起動し、動くのです。
一体に還る。真我に還る。それはものすごく重要なことなのです。
真我に還れば、万物が動く。万物全体が支援してくる。
逆に言いますと、万物の支援を、分離を信じて自我で生きるということは、万物の支援なく生きているということになるのです。
独立した、神から、万物から。それを追天使と言います。
万物から独立したということです。
自我を持った。
自我を持つと、独立してしまいます。
しかし、私などいなかった。一体だったという真我への帰還である気づきは、愛へ還る。そのとき、何もしていないように見えますが、実は大変な行為をしているわけです。
それは、万物に還って、みんなと一体になった。宇宙と一体となった。
森羅万象、存在するもの全部と一体となったという力。
その支援を受ける力は、絶大に大きいです。
そのとき初めて、人は成功したり、真に豊かになったり、真に繁栄します。
そのことを、アブラハムに神が言ったと言われていることは、そのような意味です。
一体に還るなら、あなたの子孫たちにそのことを教えるなら、必ず繁栄し、豊かとなり、真の成功を必ず遂げるだろうということです。
それが何より大切です。
成功する。また豊かに生きる。
人類がみんな良くなる。人のふるさとに侵入する。奪う、取る、殺す。支配する。そのような分離の価値観を持たない人々が、その時初めて生まれ、だから安心してみんなが暮らせます。
そして、そのようになってしまった。
恐怖や恐れで自我が強まって、支配するしかない。
やられてたまるか。
そのような悲しみ。つらい思いをした方たちが世界を支配しようとしたり、奪おうとしたり、管理しようとします。
ですから、全人類が幸せになるには、真実である科学性である一体性に気づくことだと、たわごとMARTHはそう感じています。
全人類が、あらゆるメディアや、あらゆるものが、インターネットもあらゆるものが、その一体性を世界中の人たちに。
それゆえに、人は、幸せになる。
逆に、自我で生きると、その人は目覚めさせよう、気づかせようとメッセージします。
ましてや、分離から人を殺めたり、人を苦しめたり、やっつけたり、支配したり、または、殺したり。人数減らしをしようなんて思ったら、その人は決して自分を許しません。
本人は、肉体脳ですから、分離の価値観の中で、自分を許さないなんて思わないかもしれませんが、実は、その人は絶対に自分を許しません。
なぜなら、その人は愛で、その人は神の子で、万物の子で、本当に大切な命だから、その人はそれを償おうとします。
そうでないと電子体。要は本当の自己、電気体。素粒子体が、霊斬されてしまいます。
要は本体に還れない。永遠の命を失います。
分子体ではなくて、電子体です。本当の生命を失います。
だから、償おうとします。
分子レベルの段階で。それが、滅びです。破滅です。
そのようにならないように、誰でもが一体で生きる必要があります。
愛で生きる必要があって、森羅万象に還る。万物の子に還る。その一体の中で、あらゆる仲間たちを、森羅万象の全部をサポートする。
森羅万象のために生きる。万物のために生きるような美しい、その一部の人に戻る。
本当の質、本質に戻る。それが何よりも大切なことで、幸せに生きる方法です。
人類に残される、本当の愛の世界はそのように創られてゆくでしょう。
それでは、またお会いしましょう。
お相手はたわごとMARTHでした。
おやすみなさい。
MARTH
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