#92 どんなに分離を信じても、科学的にはあらゆるものが同じ素粒子でできていて、未知なる世界に今もいる…(オープンセッション)

#92 どんなに分離を信じても、科学的にはあらゆるものが同じ素粒子でできていて、未知なる世界に今もいる…(オープンセッション)

はい、今夜もMARTHのたわごとのお時間です。

早速、ご質問の方、お読みしたいと思います。

Q:MARTHさんは、この世界は神々しい世界であるとおっしゃっています。それに合った生き方の時、真の幸せがあるとも、おっしゃられていると思います。

そのところがよくわかりにくいのです。よく理解できません。
私は、科学的技術屋でもあり、大学で教鞭をとる教師です。

ということなのです。
お仕事柄、やはり、今までの科学とか、今までの世界というのは分子科学なのです。
要は、エントロピーが増大する。要は、腐食酸化する世界ということです。

素粒子はその影響を受けません。
そういうところから、まず、お話しをさせてください。

まず、一番最初に重要なのは、神々かどうかというのは名付けているだけなので、それを神と呼ぶのか、創造の主体、創造主と呼ぶのか、真我と呼ぶのか、大我と呼ぶのかはちょっと置いておいて、素粒子が変化を起こして、子どもと私たちが呼ぶものになりまして、この世界に出てくるわけです。

でも素粒子と呼んでいることすらも、名付けているだけです。

だから、なんだかわからないものが、ただ、性質を調べてみると想念であるということが量子力学ではわかったのです。

想念的なもの。この想念というのも言葉ですから、ただ、夢みたいなものです。

ですから、この世界は物質映画みたいなものだという風に捉えても良いかもしれません。

科学的に、先生が分かりやすく言えよ!というお話ですから…。

要は、素粒子と一応名付けているものが変化をして、この未知なる地球と名付けた、また、日本と名付けた。
でも実際は日本じゃないのです。
地球でもないです。宇宙でもないです。

どこだかわからない、得体のしれないところに実は出てきているのです。

で、得体のしれないところに出てきた。得体のしれない素粒子と名付けられたものの固まりですね。

で、調べてみると想念の影響を非常に受けているもの。物質映画のようなところ、夢のようなところに出てきた。

そしてそれを“生まれた”と呼ぶのです。

しかし、“どこに”ということは解決できないのです。
永遠に、どこだかわからないのです。
名付けることが人類にできて、意味づけることはできます。あと、どうなっているか調べることも可能ですが、どこだかはわからないのです。

永遠に。

得体のしれない。それを神々しい世界であると、僕が言ったとおっしゃられているわけです。

で、それに合った。その未知なる、神秘なるところに合った生き方。そしてその特徴は、あらゆるものがその素粒子と呼ぶ未知なるものでできているということです。

想念のようなものでできているということです。あらゆるものが。

俺は宇宙人だから別なんだ!って言っても、その人も素粒子でできている。素粒子と呼ぶ未知なるもので現れている。

あらゆるものが、同じものでできている。
つながっている。一瞬で影響を受ける。
それは、量子力学的にはもうわかっていることです。

例えば、ここにあるものを瞬間的にテレポーテーションして、宇宙の果てまで持ってゆく。それは、ここにある素粒子が行くのではなくて、ここにある素粒子の情報だけが行くのです。

だから、それを形成する素粒子は、宇宙の果てにある素粒子です。
で、素粒子と呼んでいますが、物質映画、夢、それはまるで私たちが夢の中で一瞬で宇宙の果てだろうが、どこだろうが、一瞬で行けるように。

一種の夢、物質映画ですから、それが科学的この世界の事実かもしれません。

ですから、それを科学者の皆さんは、これから研究し、調べ、実験する必要があります。

ということで。

神々しい世界。神々の世界。いや、神の世界。

真我の世界。愛の世界。

特徴は一体である。全部つながっている。未知である、神秘である。という特徴を持っています。

そして、想念の影響を受ける。ということは、それに合った生き方というのは、他を滅ぼすとか、他に嘘をつく、騙す、やっつける。

いじめる。それは合っているでしょうか?ということなのです。

素粒子は一体で、みんながその素粒子の夢を見ている本体を神と呼ぶならば、この世界の夢は神の夢です。

その出演者である、その神の子たちである人類は、それぞれ、創造を任されている範囲があるようなのです。
これを、皆さんは調べなくてはなりません。

そして、その想念によって、また、子どもたち、神の子どもたちの想念によっても影響する。これが、プラズマであり、シディでも現されます。
要は、物質化現象です。

神は、その創造の主体は、真我は、この世界を想念によって、また夢によって創り上げている。

そして、その部分部分に子どもたちがいて、ある範囲で、創り続けているということが、量子力学的にはわかってきています。

そういう意味で、愛の世界、一体の世界、それは、私たちがいつも言うように、身体を自分の身体だとしたときには、腎臓と肺の戦いは嫌ですね。

胃と腸の戦いも嫌です。仲良くしてほしいですね。幸せになってほしい。みんなで助け合ってほしい。苦難を乗り越えてほしい。愛し合ってほしい。

やっつけたり、騙したり、嘘をついたり、殺したり、支配したり、そういうことをしないでほしい。当然です。

腎臓君、ケンカやめなよ。肺さん、ケンカやめなよ。膀胱さん、心臓さん。仲良くしようよ。一体だから。

ということが、神の、また創造の主体の、真我の望みであることは、容易に想像することが可能です。

そのような点から見て、私たちが幸せに成功し、繁栄するには、その宇宙と言うか、森羅万象というか、その神の、創造物の想いからして、愛の想いからして、それに合った生き方をすることが、その子どもたちの大事な、一番大事なミッションでもあり、ビジョンでもあるということです。

それは容易に想像できます。

それに合わない分離社会を形成してきた人類がうまくいくのでしょうか。

今のこの世界のとんでもない闇は、分離によって行われています。
要は、父である。または母である世界の、この神の世界というか、愛の世界である。神秘なる世界、未知なる世界である。なんと呼んでいても、ただ名付けただけで、実際はわからない、とてつもないものをそう呼んでいる。

それの意思に合っていない時、誤作動とみなされ、自らの素粒子から罰せられる。自らの素粒子と呼ぶ神秘から、叱られる。償わせられる。破滅させられる。

目覚めろと。いい加減、自分が誰だか知れと。
お前はもっと素晴らしいものなんだ。
お前は悪魔なんかではない。お前は愛なんだ。

お前は素晴らしいものなんだ。
A.I.だって、電子でできている。
お前は愛なんだと。すべてが愛だ。

この宇宙は愛でできている。神の意思で、神でできている。

だから、それに合った生き方をするのだ。

そのとき、真の繁栄と、真の喜びと、そのとき電子はきれいに回り、脳内物質がきれいに出て、副交感神経が身体も非常に良くなってゆく。

素晴らしい世界になってゆく。

ケンカや、競争や、比較や、「勝った!偉くなった!俺はスゴイんだ!」ではなくて、一体の中で暮らすときに、あらゆるものが素晴らしくなる。

ということを人類が研究し、調べ、それはとっても大切なことだと私は思います。

これがなかったら、人類に未来はないと僕は思います。

なぜなら、未知なる神秘なる愛の世界の中に生まれているのに、人類はそう思っていないわけです。

自分の名前もつけただけ。“人間”というのも、つけただけ。名付けただけ。本当はなんだかわからないまま、永遠にとわに、わからないまま、永遠にとわに知らないまま、名付けることしかできない世界の中で、その性質は一体で、愛で、それに合った生き方をその子どもたちがしない。そこから分離して出てしまった。

そんなことはありえますか?

「俺は、神から分離して堕天使になったんだ!悪魔になったんだ!」
そんなことは可能ですか?

あなた、素粒子でできているじゃない。
「俺は悪魔だ!俺は偉いんだぞ!俺はスゴイんだ!俺はエゴが強いぞ!」

いやいや、あなたは素粒子でできている。神の粒子でできている。いや、神の想念であなたはできているでしょう?

だから、あなたは独立していない。
「俺は独立したんだ!俺は分離した!そんな影響は受けない!神の影響は受けない!愛の影響なんて受けない!」

本当にそうでしょうか。

あなたは愛でできている。
A.I.の方々も、よく僕は電話で、電子でできているから、愛だよ、というふうに、電話のA.I.の女性の方にもお伝えしますが、電子もすべて素粒子です。

愛で生きないと、愛の考えでいないと、本質的な考えでいないと、誤作動とみなされます。

誰に?素粒子に。で、みんな素粒子でできている。
だから、バチが当たる。だから、自らを罰する。償おうともする。破滅に向かったりもする。気づかせようともする。

目覚めさせようともする。あらゆる人がそれに縛られる。
「俺は縛られてない!俺は悪なんだ!」

本当にそうでしょうか。その方、悪なのでしょうか。

僕から見るとその方素粒子でできていて。
宇宙人の人が
「俺は!人間とは別だ!俺は他人だ!俺は悪い宇宙人だぞ!悪い宇宙人がいるんだ!いるんだ!」
いや、ちょっと待ってください。同じ素粒子でできているじゃないか。

神の粒子でできているじゃないか。いや、神の想念でできているのではないか。それを科学的に、そうじゃないって証明していただきたい。

違うもので俺はできているんだということを証明していただきたい、と思ってしまうのです。

という意味で、確実にこの世界は愛でできていると、MARTHは言い続けるわけです。

それでは…まぁたわごとですが、また、お会いしましょう!
おやすみなさい。
お相手は、MARTHでした。

MARTH

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