#100 なぜ、心と身体両方の癒しが大切であるのか。MARTHの歩んできた軌跡とは…(オープンセッションのみ)

#100 なぜ、心と身体両方の癒しが大切であるのか。MARTHの歩んできた軌跡とは…(オープンセッションのみ)

はい、20年、30年前に創った音楽と共に、今日はお送りいたします!MARTHのたわごと。

今日は、出かけていたのですが、最後帰って来たときに、秋山先生からのメッセージが来ました。
そして、先生からのご質問を受けて、たわごとを今から録ることになりました。

ご質問を読みますと
Q:MARTHさんに質問です。先日、神戸のショールームで、光の椅子など体験させていただき、量子の最先端の大変素晴らしいものが沢山あり、本当に癒されました。

MARTHさんは心のトレーナーであったのに、なぜ、HEALING社の製品を開発されたのかと、常々疑問に思っておりました。

愛する人を救いたい一心でと、人伝いには聞いていました。

そのことについて、教えていただけませんか?
ということを先生からご質問いただいたのですが、ちょっと僕としては悲しい…あの当時の僕は、悲しみでいっぱいでした。

愛する人を救えなかったのです。
彼女は、トレーナーでした。そして、元は保母さん、20歳ぐらいのときかな、彼女は保母さんで、うさぎとかめが共に勝つとか、鬼がいい人だったとか、そういうものを子どもたちに聞かせる、そのような物語を書いて、保育園なのでしょうか、幼稚園なのか、それを伝える先生だったのです。

で、僕がそのようなJCとかそういうところの講演会で、史上最年少の上場企業の役員になったり、また、オーナーになったりというようなことで騒がれていた。
僕が26~27歳くらいかな。彼女はまだ20歳ぐらいだったのかな。

で、そのあと彼女がスキルス癌になって、僕らは心のことばかりをやっていました。

それで、そこには、医者をしている参加者の方が170人ぐらいいたのです。

みんなにそのレントゲンの写真を見せたら、みなが泣くのです。

本当に怖くなった。彼らは、その賀江のレントゲンを見て、みんなが、参加者の医者の人たちが泣く。これはどういうことかって、僕は必死にそれから、半年あまりでしょうか。足が早くて、まだインターネットというのがない時代で、まだ探すこと。助けるものを本当に必死に探して、世界中…。

そんな、もう、思い出したくないぐらいの苦しみの中で、のたうち回っていたんですね。

また、自分の音楽を愛してくれる友ができて、その芸能界の友も、助けることができなかった。あまりにも大きな闇の中からの…なんというのでしょうか…大きな力によって、まったくいわれのないというのでしょうか、まったく、びっくりするくらいの攻撃というのかな…言われなき攻撃と言うのかな。それは、その人たちなりの考えがあってのことだったのでしょうが、その友を助けてあげられなかったです。あまりにも大きな力で…。

そんなことが続いていた時代です。

その愛する人、愛する友を救いたい一心で、って先生がおっしゃられるとおりです。自分の儚い力で助けられない。愛する人を助けられないという経験をしました。

亡くしてから途方に暮れて、もう、それこそ何も食べれなくなってというか…。

そのときに、自分を支えた価値観というのは、一体性です。

それは、肉体を失っても、ひとつである。永遠にとわに、一緒なんだというような想いで、切り抜けていったのかな。精神的には…。
永遠にひとつなんだ…ということでした。

そして、彼女に、最後の方になって、彼女が聞きたいって言っていたのは、この世界が未知で神秘でこの世ではないということをもっと言ってくれというふうに言われて、僕は世界中を飛び回って、助けられるものを探していたんだけど、家にいて、そこの話をしてほしいってずっと言われて…。

未知で神秘、宇宙のはてのはて、どこまでもとわにあるんだ。
これは現実じゃない。これは夢の世界だと。夢の中だからこそ、それはありえる。

はてのないものというのは、現実ではない。ということを、毎日、伝えて、だから、死は決してない。この世じゃないから。現実じゃないから、ということを伝えました。

そのことで、僕が彼女を亡くしてから、それまでは心のことをずっとやってきたのですが、心のことだけじゃなくて、身体のことが重要だと、とんでもない衝撃というのでしょうか、もうとんでもない、殴られた状態。

そのあと、叩かれてゆくということも起こったのですが、僕の中ではそのことよりも、彼女を失ったことが大きすぎて、ちょうど同じ時期だったので…。何しろ、助けたかったのです。

それは僕だけじゃなくて、世界中の人が、ガンや、いろんなもので、いろんな愛する人を亡くすわけです。

なんとか助けられるものはないのか。まだ、彼女はそのとき29歳でした。
人生を全うするには若すぎる…という…そういうことも、とことん、突き詰めてゆくことになったのです。その理由も含めてですね。

そのような流れの中で、あらゆる人が愛する人を、自然に失うだけじゃないということを、やはり、その社会環境ですね。
分離社会からくる。悲しみからくるもので、早く失われる命もあるわけです。

そのような中で、なんとか助けることができないか、ということで、自分は誓いました。

何があってもそれを克服するものを見つけると。
それがHEALING.の誕生です。

また、西洋医学の参加者だった沢山の人たちがまったく手に負えないのを見て、また、それどころかその参加者の人と、いや、その西洋医学の人たちがみな、ガンになるわけです。

そのような社会です。
それを突き詰めることもそうだし、その抵抗力がなぜそこまで失われるか、また、それが温熱にもなり、様々なプラズマにもなり、

そのような様々な自然治癒力とか抵抗力はなぜそこまで失われるのかとか、そのような社会であるのか、とか、いろんなことがわかってきました。

たまたま、秋山先生はご存知かどうかわかりませんが、18歳ぐらいのときに、πウォーターの山下さんと知り合って、東大の農学部に彼はおられたのですが、牛や馬が、草を食べているのに肉になるということを研究されていたのです。

そのことで東大をクビになられて、要は彼は量子力学を研究していたのですが、農学部ですから、バイオですね。

ですが、彼は量子力学に傾倒していました。
それは僕が18歳のときです。

で、先生との中で、原子変換が腸で行われていると。

それが、実はこのプラズマ的な話になってゆくのです。

シディ的と言ってもいいのですが、その当時僕はニューエイジ的にはシディとか、そのようなことをやっていたので、そのようなことがリンクしている中で、プラズマとシディが同じものであるという理解をしました。

電子の美しく、軌道を、原子核の回りを回る電子の軌道の動きとか、分子の空虚性です。

空洞性というのでしょうか。
物質映画性とか、素粒子の想念性とかですね。
そのようなことを、大学とかそのようなところは行かなかったのですが、先生から個人教授、家庭教師的にね。

それでプリシアを創ったわけです。πウォーターリゾートということでです。

彼は、量子力学的なことは人類にまだ理解されないから、決して言ってはならないということで、いろんなことを習いました。

そのことが、急激に必要だなと思ったのが、その彼女を失ったときなのです。

そこからまた徹底的に、それを研究していったのです。

それこそ、本も千冊、まだインターネットがそんなに普及していなかったのです。

自分もアップルジャパンという会社の副社長だったのですが、まだそのようなパソコン的なものまでは、ある程度できていたのですが、電話、iPhoneとかそういうのはまだできてない時代なのです。

色付きのコンピューター。ちっちゃなね。そのようなものをやっていた時代なんです。

まだジョブズも元気でいたのですが、そのあと彼が辞めることになって、僕も辞めましたが、そのような20代のときの話ですね。

で、賀江が亡くなったのは、僕が30いくつだったと思うのです。

その悲しみから、絶対心だけじゃダメだって思ったのです。
身体のことをやらないと。これは、自然な形じゃないなと、実は思いました。

全人類の、その健康においてです。

それはみなさんがご存知のように、いろんなことがあると思われます。

で、人間の自然治癒力、抵抗力は、とんでもなく落っこちてしまっている時代だと。

その悲しみの世界で。要は分離の世界の中で、つらかった、苦しかった、ケンカや戦いや、一体であることを知らない悲しみの世界の中で、人が殺し合い、裏切り合い、支配や隷属、ありとあらゆる戦い。

醜き争いの世界。その中で、人が健康で、愛を持って、美しく生きることができない。
当然心もそうだけど、身体もそうだなと、30歳ごろの自分はつくづく思って、実業界も、これは腐ってるなと思ったのですべて捨てて、自分は辞めました。

それで創ったのが、HEALING.なんです。
そして、岩盤浴というものを、生み出しました。
これは温熱と、特にメディテーションの機械として、創ったのです。岩盤浴というのを。

だから、サウナのように考えられた時代があったのですが、創った本人は、メディテーション。ちょうど、そのような瞑想とかをやっていた時代なので、非常に電子が綺麗に回っている。薬石の上、温まっているところに乗っかると、非常に…。
どこまで僕言って良いのかも今もわからないのですが、電子が綺麗に回る。その上に乗っかって、瞑想するために創ったのです。

そうすると非常に、要は、あの当時、そのメディテーションの仲間から、どうやったらそのシディへうまく行けるのかということや、その瞑想体験について質問されることが非常に多くて、それには、要は深いメディテーションというのでしょうか。
メディテーションというのはメディカルということと一緒なのです。
電子が綺麗に回るというイヤシロの場、ということ。

要は分離でみんなが、観念が分離なので、瞑想体験があまり良くないのです。分離の観念が強い社会の中では。

それを補う。観念を当然変えなければいけないし、分離の観念から一体性にならなきゃいけない上に、それをサポートする環境ですね。

それはイコール、身体にもすごく重要なことだったのです。

それで編み出したのが岩盤浴というものなのです。

世界で初めて、それを編み出して、最初は自分の後輩の経営者が、「石の癒」という石の癒しという岩盤浴というもののチェーン店を作っていったときの石とか、音楽とか、いろんなものを自分が担当したのです。

そこから、HEALING.は、初めは岩盤浴の会社として始まり、何しろ、彼女を助けたかったという想いだから、正直、対ガンですね。

また、対というのかな。低体温もそうですが、要は抗酸化。また、例えば抵抗力。自然治癒力。そのようなことが最大のテーマです。
失われた、人間の素晴らしい機能をどうやって取り戻すのか、というのが、自分の大事なホビーだったのです。

心のことは当然エキスパートであったと思うのです。
でも、身体のことをとことん、やり始めたのです。
ある意味、結論的には一緒なのですが、大事なのは、その乱れてしまった自然治癒力は取り戻せる。
強力に取り戻せる。

それがないと、非常に人類はダメージが大きい、ということを思った、ということです。

今でも、そこから様々なものを、生み出しています。

で、プラズマに関しては、シディと同じなので、その世界では非現実の世界に入ります。

ですから、どのような想念とか、またどのような波動とか、どのようなものを記憶するか。

また、それを現実化するという世界ですから、非常に古代の素晴らしい時代の、人間がまだ分離して戦いでこの星を台無しにする前の記憶を持ったものとか、そのような愛の、一体性を持った、まだこの星の大自然の素晴らしいエネルギーを現実化するというのが、プラズマはただ現実化する。悪いものも現実化しますから、良いものを物質化するという試みを、今、やっています。

それで屋久島の素晴らしい鉱脈、古代の。そこから出てきた水をプラズマ化して、また、そこに様々なそういったものを今、今も、開発中です。

まぁ、どこまで言って良いのか、まだこういう社会ですから、分離社会です。戦いの社会です…。

戦い、殺し合い、奪い合い。まだ人々が一体性に気づいていない。他と思っている自らを滅ぼしたら、大変なことになる。永遠の命を失うという、スピリットまで失ってしまうという大変な仕組みを知らずに、人類はケンカや争いや戦いを、今まだ信じているわけです。

その中で、言える範囲は、これぐらいですね。
やはり、人類は今、この世界の一体性、そこからそれた生き方がどれほど恐ろしいものかというのを、今みんな体験しはじめていると思うのです。

本当に、この宇宙は愛でできています。

神々は、愛で生きる人のために、一体性で生きる、他を愛する。隣人を愛する。隣国を愛する。他を尊ぶ人たちが幸せに生きれ、豊かに生きれて、そしてその人たちこそが、そうやって生きるときこそが、至福と愛に包まれ、そのときに、罰することなく、滅ぼすことなく、破滅することなく、幸せに繁栄して、美しく生きれる世界として、神々が、天が創ったということを、人類は知らなければなりません。

そのような世界になって、今こそいくべきです。

そして、本当の自然界のもつ、生命のもつ美しい治癒力や、癒しの力を取り戻す必要があります。身体も、心も。

僕はあとどれぐらい生きれるのかわかりませんが、後輩たちや子どもたちに、美しい世界を届けられるように、尽力…少なき力ですが、やっていきたいと想います。

それでは、またお会いしましょう。
お相手は、たわごとMARTHでした。

おやすみなさい…。

MARTH

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