Vol.38 「はじめにあるものが最後にある」という科学的法則について(オープンセッション)

Vol.38 「はじめにあるものが最後にある」という科学的法則について(オープンセッション)

はい、MARTHのたわごと。お外でたわごとのお時間です。

今日もHEALING.のアトリエからお届けいたしております。

昨日もお話したように、今日もお隣の方が、皆さんには聞こえないかもしれませんが、芝刈りをされている音が流れております。
穏やかな、晴れのお天気ですね。

今日もリリは、昨日もお話ししましたが生理中なので、オムツをしておられまして、上にいますので、出演していません。

昨日は(視聴者の方から)ガッカリされるコメントをいただきました。

リリちゃんはあと2週間ぐらいちょっと出演できないかな~という感じがします。

それでは、さっそく、ご質問です。

Q:MARTHさんのお話で、要はプログラムの中のおおかみくんのことですね。「牙」分離がない方が良いことはよく分かるのですが、私のまわりには、私を含めて、牙を信じた人がたくさんいます。どうすればよいでしょう?

という、ちょっとおもしろい、スクールの方ですかね、ご質問が来ています。

答えとしては、「カルマ」ってよくニューエイジの方がいうじゃないですか。インド的な…その本当の意味というのは分離感です。分離の観念ですね。

これは本質的な価値観だったらカルマにならないのです。
本質的価値観とはなにかというと、一体、愛です。

これは宇宙の真実に合っているものですから、カルマ化しないのです。

そのような意味で、愛とか一体性、本質。純粋な気持ち。
要は警戒とか戦いとか闘争とか、支配とか隷属とか、そのようなものでない、愛の、要は宇宙に合った、一体の世界、素粒子の海に合った価値観でいれば、それは傷にもならないし、素晴らしくなるのですが、「ああなっちゃうぞ、こうなっちゃうぞ」「こんな目にあった!ちくしょー!コノヤロー!」みたいになると、恨みとか憎しみとか、敵対、戦い、競争となると、宇宙の真実と違うので、“カルマ”という風になるわけなのです。

では、どうすればいいか。カルマというのは分離の観念、恐れのことなのです。疑いとか、代々続きますよね、ひどい目に遭えば当然。

この世界に出てきて、今分離社会ですよね。一万年遡らないとわかりませんが、どれぐらい続いているのでしょうか…。

そのような分離の価値観の中で、当然やられてしまう、やっつけられてしまう、殺される、犯されるって、いろんなことがあったわけです。

古代ユダヤの人たちもそのような目にたくさんあって、捕囚されたり、そのような苦しみの中で、それでもまだ、それでもなお愛を保とうとする理由は、それが宇宙に合っているからです。

ところが、「人はこうなんだ」「あいつらは悪いんだぞ。」「こいつらはこうなんだぞ」ってなってゆくと、当然自分は分離の価値観になって、至福や幸せを失ってしまうのです。

で、この次の質問の中にあったのです。

Q:世界が闇となっている最大の要因はなんでしょう。分離の事はわかりますが、他にありますか?

というご質問があるのですが、僕なんかは啓発のトレーナーを長年、若い頃はやっていましたから…。
そのようなものが今は潰されてしまって、分離社会の中で終わらされてしまったわけなのですが、本当に素晴らしいアイディアがいっぱいあったのです。

僕がちょうどミサワの役員だった頃。一部上場役員で最年少役員ですから、26歳ぐらいですね。

突起しているという意味でみんなから、分離社会からすごい、すごい、と言われていた時代ですね。

その当時、アップルジャパンの副社長もやっていたりして、そのような時代です。
いい、悪い、というよりも悲しみの世界の中にまだどっぷりいました。

その時に、そのような「自分を観る」というセミナーに出会ったのですが、本当に素晴らしいと僕は思ったのですが、今、世の中には存在しないと思うのです。

本物だったからですね。素晴らしいものだったからです。
その中に…一応、書いてきたのです。
「はじめにあるものが最後にある」という宇宙の法則というのでしょうか。この事を人類がもし、知らなかったらどうか、ということをちょっと今日は取り上げたいのです。

はじめに貧乏があっても、絶対豊かになれる。ところが、はじめに“貧乏の恐れ”があったら、最後の結論は“貧乏の恐れ”なのです。怒りや憎しみ、戦い、分離感がはじめにあったら最後もそうなるのです。と、いうことを、知っているか知らないかということは、人生にとってものすごく大きくないでしょうか。だってはじめに幸せじゃないと最後幸せがないとか、はじめに豊かさの気持ちがあるからそれが続くとか、
はじめにあるものが、はじめにあるものになるって知っていたら、それがまた科学的に本当に事実だったら、はじめに楽しくするし、はじめに幸せにするし、はじめに豊かな感覚だけでもしますよね。

そうしたら、それを引き寄せることができるという、この素粒子の物質映画の世界。シディの世界を分かっていたら、最初に文句とか、戦いとか、いつか勝ってやる!とか、やっていたら、それは将来あるだけなんですよね。

で、僕もそうですが、お年を召した方は、皆さん分かると思うのですが、若い頃にあるものが、今もあるのです。これはもう科学的にそうなのです。

だから、はじめを自分が変える力を持っている。
はじめの状況を自分が変えられるんだって知っている人と、それを知らない人では大きく差が出ますよね。

それを、自分のグループや団体にしか教えないというのはよくないですね。

だから、みなさんが聞いてくれるかどうかはわかりませんが、僕は隠すつもりはないし、自分の団体も、グループも持っていないし、そんなものほしいとも思わないので…。

はじめにあるものが最後にあるという、この万物存在の、素粒子の、シディの、創造主体の、創造の子の特徴なのです。

ということは、はじめに楽しさがあれば、最後に楽しさがあるのです。

はじめに苦しみやつらさや、そのようなものがあったら、最後にどんなにその人が出世しようが、偉くなろうが、もう苦しみと悲しみと、ものすごいトラブル、問題。
アッティラ大王、アレキサンダー大王、信長。
どんな王になっても、苦しみなのです。

恨みや憎しみや、そういったものから生まれたものは、最後もそうなのです。

これを、科学的に検証しないと。また、そのことを理解して生きるのと、「えっ?そうなの!」というのでは全然違っちゃうわけですよね。

それをちょっと今日は書いてきました。
「はじめにあるものが最後にある」という宇宙法則を人類が知らないことが、最大の要因だと思います。

この世界が闇となっている理由です。だって本人は良くなると思ってやってるわけです。地位や名誉、チャンピオンなったり偉くなったりすごいものになることが。でもそれが苦しみからだと、最後に苦しみとつらさになるよ、と。そうならない方がいいじゃないですか、幸せの方が。自我としてもハッピーな方がいいですよね。当然、そういう自我としても幸せな方がいい。

だとしたら例えば今、皆さんには聞こえないかもしれませんが、お隣さんがのどかに芝刈りしているのですけど、ビーって音がしています。それがうるさいな、この野郎とか、やっつけてやるぞとか、そのような変なネガティブな考えを持っていたら、その人の1日はもうネガティブになってしまうという、シディの創造法則の科学的法則量子力学的な、そのようものが生まれてしまうとみんなが知ってたら、ハッピーに行こうよって、平和で行こうよと、楽しく行こうよ。戦いに勝ったら偉くなるんだ、戦いに勝っても偉くならないですよ。戦いに勝ったら、すごく精神的なダメージ。もうすごいそのはじめにあった悔しさ、憎しみ、競争心、恐怖が実現するだけなのです。この辺が、最大の理由じゃないかなということです。

それで、元のご質問。牙の問題。これがなかなか反響がありまして、牙の問題というのは、最近ヒーリングさんが昔、のりえが書いた、保母さんが書いた、うさぎとかめがともに勝つとかね、桃太郎の鬼がいい人だった、そんな悪い人たちじゃなかったとか、そのような物語を書いていたのです。彼女がまだ二十歳の頃です。あとおおかみくんの牙が抜けたとか、それのプログラムに関しても僕はいろんな評価というか、詳しい説明を書いていたのを、ある一部分の方たちだけに出したんですね、それが話題となって質問が多数寄せられているということなのです。

この“牙”というのはオオカミくんの牙がね、みんなに愛されて、抜けてしまったのです。それで人が悪とかね、人がやっつけてくるとか思うと牙が出てくるっていうね。で、騙されるんじゃないわよ、人間界なんてこうなのよ、あんた、先手必勝よ、戦ってやっつけるんだ、騙しなさい、そんなのうまいことやればいいのよ、とか。まあそれはお母さんやお父さんが、悪気じゃないんですよ、この分離社会、戦いの社会ではね、しょうがないんですよ、そう思うのは。しかし、これシディの世界だから、そのネガティブな感覚でいるとそれが実現されるという法則も存在するわけです。愛からの行為はカルマにならないけど、分離からの観念はなるんですよ。その分離社会の痛みに気づくことが、だからみんなそういうこと言ってんだなぁとか、だからみんな牙生やしてんだなってわかるとね、許しが出ませんか? 例えば。ああ、だからチハル君(撮影スタッフ)も牙出して、オタクになっているけど、あれは分離社会だからしょうがないじゃん、っていうことです。しょうがないよね。分離社会なんだから、お父さんもお母さんも、社長も政治家の方もみんな分離社会で防衛しないと生きれない社会だからね、という許しが出た上で、どうしたら社会が良くなるか見えてくるのです。

ああ、分離の世界を超えていけばいいんだな、はじめに愛があればいいんだな、こういうことを僕は思います。そういう専門家で、もうずっとやってましたからね、何十万人という方のトレーナーでしたから。

そのような意味で言うとですね、本来は愛の現れの、本質はみんな愛なんですよ。それが分離社会で、そうなっただけなんですよ、悪い人なんじゃないんですよ。真から悪い人って絶対いないです。その人はつらい目にあった、先祖が殺された、やっつけられた、犯された、すごい目にあったから防衛のために人を支配するんだ、管理するんだって、なってるんですよ。でもその人たちが幸せかって言うと、はじめに何がありますか? 恐怖心、戦い、恐れ、不信感。それが気づきとして許しを持つことで、牙が抜ける。

分離社会なんだから誰のせいでもないよって、誰だって神の子が、愛の現れがみんな出てきたって、分離社会に入れられたら、みんな使命すら失うんですよ。それを保つのは相当ラッキーな、親がものすごく一体性を持っているとか、まあ自分はたまたまそういう先祖代々ずっとそういうなんか宗教性の家だったからだと思うんですけど、あと親父が法務省の囚人の回帰の研究者だったので、そのような啓発をとことんやってて、そのまま東京地検に出向で行きましたからね。やっぱり裁判の公判室長だったのです。だけどうちの親父は「裁判だけは絶対するな」と「裁判ほど悪いものはない」なんていつも言っていました。戦いが本当に愚かだと、失うだけだと。戦いをするくらいなら、その日毎日、実業家ならお金稼いでた方がいい、仕事してた方がいいってよく言ってましたから、役所の人たちとね。

分離とか戦いって、ろくなもんじゃないんですよ、宇宙に合わないから。あなたの本質、愛に合わないからです。そうすると自らを許さないし、向こう側から不信感を持った人が歩いてくると、こっち側からも不信感持った人が歩いてくる。お互いに不信感でぶつかり合うわけですよ。でも、弱かったら騙したりうまいこと言ったり、先生さま先生さまとか、いろいろと言ってみたり、また強かったらやっつけてみたり、そのような悲しみ。無理もないのです。だって分離社会です。喧嘩の社会。お父さんやお母さんがそうなるのもしょうがないんですよ。

もし皆さんがそれを本当に嫌だとするなら、分離社会の終焉が必要です。自我の終焉です。分離社会から一体社会に回帰する。本質の社会をみんなでつくる。ともに創っていく。だって、幸せになりたいし豊かになりたいし、シディ的に変な人生になりたくないですよね。そんなもの見たくない。喧嘩や闘争や恐れで見張っていたら、守られないのです。だって素粒子の世界だから物質化されてしまうんですよ、その恐れが。そうでしょう?今そのことが量子力学がフィーチャーされて、皆がわかるようになってきていますね。それは素晴らしいことです。だから新しい未来が見えるんですね。新しい世界が来るんじゃないかって、僕もちょっと正直思います。

物質映画であることを知ることと、物質創造者であることを知ることですね。自分が創ってるんです、初めにあるものを創ってるんです。初めに物を作るのは工場ですよね。自分が工場なんですよ。初めに幸せはハッピーや至福を作ってた方が得なのです。部分にとっても自我にとってもです。だからいろんなことがあっても、今も、(草刈り機の音が)ビーって言ってるんですけど皆さんには聞こえないかもしれないけど、スタッフの人はもう気にして、撮影してるから、昨日の撮影なんかね、すごい大変だーみたいな感じになったんですよ、だから僕が昨日言いました。穏やかで良い日だよねって言った方が、思った方が、隣の人も幸せに草刈りして、幸せだな。戦争もなくて、と思った方がね、幸せが創れるんだっていう想像の世界。物質映画の世界、物質創造の世界。量子力学の世界なんですね。

向こうから牙の人が来た、こっちも牙でしょ、恐れているわけでしょう。恐れ同士で会ったら、こっちが至福の明るい、幸せを出すのです。それを向こうの人から見たらね、あ、いい人だって見えるんですね。その人は、いい人か悪い人かいつも見てるんです。恐れの強い人ってのは、怖いかな怖くないかなって、いつも見るようになっているんですよ。だから朝から晩まで怖いかな怖くないかなって見てるわけです。自分の想像は、怖いのは嫌だっていう想像なんですよ。だから作るものは、その人は怖いこと。恐れのこと。大変、問題を起こしてしまう。創ってしまうんですね。「ほらやっぱり怖いじゃないか」って。

だからはじめに、牙の怖い人が歩いてきても、自分の方は至福や幸せで愛から。必ずその人は、深いところは愛ですから。傷ついて傷ついて、この分離社会でそのようになっているだけですからね、そこを信頼してあげるということはすごく重要なのです。

今日はいろいろと話しました。すべてたわごとですからね、信じないようにお願いいたします。MARTHのたわごとですから。聞きたい人だけが聞いていただければいいかなと思います。
それではみなさん幸せにお暮らしいただきたいと思います。
それではまたお会いしましょう。
リリちゃん、上から見てますけど。はい、それじゃさようなら。

MARTH

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